地獄のハイウェイ

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科学的実在論論争が科学から見て無益であること

 先日の記事「科学哲学は科学を理解するのに役に立つのか?」を書いたものの、何故そう思うのかについては説明していなかったので、そのあたりを少し補足しておこうと思う。

 以前に「滅びゆく科学哲学:伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどる』」でも書いたのだが、研究伝統としての科学哲学において主要なテーマの一つである科学的実在論論争は、科学者にとってある意味どうでもいいことなのである。伊勢田も取り上げている19世紀末から20世紀初頭に掛けてのエネルギー論(Energetik)と原子論(Atomistik)の論争というのがあるが、これがわかりやすい例となるだろう。

 この原子の実在をめぐる論争自体は実証主義的なエネルギー論者(マッハとかオストヴァルトなど)が、「原子」の存在が観測されていないことなどを理由に「仮説上の存在である原子に基づく原子論」を科学から排除すべきだと批判して、原子論者(ボルツマンが代表的)と激しく論争したものである。よく知られているように最終的にはペランが1908年にブラウン運動の実験からアヴォガドロ数を求めることによって、オストヴァルトも原子の実在(厳密にいうと、アヴォガドロ数であるから分子の実在)を認めて原子論を受け入れ、論争に事実上の決着がつく(マッハは死ぬまで原子論を受け入れなかった)。

 ここで注目しなければならないのは、オストヴァルトが「原子の実在」を認めたという部分を、科学哲学での科学的実在論論争ではとらえ損なっている点である。ペランのブラウン運動の実験でデータの解析は、よく知られているようにアインシュタインブラウン運動の理論を検証(科学哲学の用語とは異なる)して、得られるアヴォガドロ数の一定性を示したものだ。従って原子の存在論的身分は、依然として科学哲学者たちの言う「直接的な知覚によって観察できない対象」のままなのである。そしてオストヴァルトは実証主義的な立場を実在論的な立場に変更したわけでもない。つまり実証主義者のオストヴァルトでさえ、原子を仮説上のフィクションではなく「実在」と認めたと要約できるような出来事なのである。少なくともオストヴァルトは「直接的な知覚によって観察できない」存在者を実在として認めた。

 そもそも、オストヴァルトが原子論を認めるようになる前に、1897年にはJ.J.トムソンが陰極線の実体が水素原子の1000分の1程度の質量からなる荷電粒子であることを実験的に示して、当時の学界の趨勢は「目に見えない粒子」である電子の存在を認めるに至り、J.J.トムソンのプラムプティングモデル(1904)であるとか、太陽系型モデル(1901、ペラン)とか土星型モデル(1904、長岡)などが提案されるようになってきていたわけである。そういう電子の実在が受け入れらている状況の中でも頑固に原子論に反対していたオストヴァルトが反対を諦めたのが、先に挙げたペランのブラウン運動の実験の結果だったわけである。

 オストヴァルトが電子の実在について反対していたのかどうかについては、さらっと調べた範囲ではわからなかったが、電気化学のパイオニアの一人であるオストヴァルトが負の荷電粒子である電子について何の関心もなかったとは考え難い。また当時の物理学的知見の範囲で実証主義者が、陰極線の正体が真空中を飛行する「質量を持った荷電粒子」であるというJ.J.トムソンの研究に反対する強い理由は見当たらない(粒子説のライバルはエーテルの波動説になる)。そういったことを考えるとオストヴァルトは、実験的検証によって示すことができればその実在を認めるというような、「直接的な知覚によって観察できない」存在者を認めるかどうかといった科学哲学の科学的実在論論争での介入実在論(実体実在論)に類した立場だったということだろうか?それならオストヴァルトはペランの実験までに原子の実在を示唆していたであろう研究を認めることができなかったのだろうか?オストヴァルトがファント・ホッフの炭素の四面体構造説(1874)に反対した形跡はない。物理化学分野での研究仲間(”Zeitschrift für physikalische Chemie”の共同創刊者)であるファント・ホッフの業績を知らないはずはないし、今でいう立体化学で原子仮説を使用することを「非科学的」と見なしていたということはないようである。少なくとも科学哲学的な科学実在論論争と、科学史上の「原子の実在性に関する論争」を単純には結びつけることは非常に困難である。

 そもそも実証主義的なオストヴァルトが原子論者のボルツマンと議論したということは、そのどちら側の論者も相手の言っていることが理解できて相手の論を批判する上で科学の知見を利用していたことを示している。つまり望ましい科学的説明の在り方についての理想が異なっていても、どのような実験結果を受け入れるべきかについてはある程度の共通理解があったということになる。オストヴァルトは物理学を熱力学的なエネルギー論に還元する研究プログラムをぶち上げたのだが、それは原子の存在が実験的認められれば引っ込めることのできるものだった。この論争に哲学が何か役に立ったのだろうか?

2019.11.23追記:科学においては、その分野の基本的知識を理解して、その分野の標準的な手法が使え、その分野での議論の作法に従えるのならば、構成的経験主義者だろうが介入実在論者だろうが、科学者として議論に参加する上で何の問題もない。もちろん主義主張によって理論的存在や実験的証拠に対する評価は異なるだろうが、オストヴァルトが最終的に原子の存在を認めるようになったように意見を変えることだってできるのだ。