地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

ちょっと知識があると違和感のある事

  10年近く前に話題になった本に増田俊也木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』というのがあり、それをマンガ化した『KIMURA』(原田久仁信)というのがある。そのマンガの第0巻で岩釣兼生全日本プロレスに入団交渉して決裂するエピソードがあって非常な違和感を感じた。岩釣が入団の条件としてデビュー戦で馬場に対戦を要求して決裂するというのだが、その要求の背景に猪木がルスカとの格闘技世界一決定戦(1976)でルスカが負けたので「柔道の名誉回復」が目的云々というのがあって、それほど知識がない人でも「なんで猪木の新日じゃないんだ?」と思うはずだ。疑問に思ったので文庫版の『木村政彦は・・・』を見てみたのだが、マンガ版とほぼ同じ感じ。柔道がプロレスよりも強いってやりたいなら、馬場に勝っても猪木に勝たなきゃ意味ないでしょ?それに当時、全日にはヘーシンクがいたので(1976年5月のシリーズで来日している)、岩釣がヘーシンクを倒さないで馬場と試合するのは柔道関係者のセンスとしても変な感じがする。

 高校時代、自分は柔道部員だったし、柔道についてもそれなりの知識がある。それで言うと岩釣兼生全日と入団交渉をしていた1976年夏頃の柔道界は、オリンピックの無差別級の金メダル奪還(東京:ヘーシンク、ミュンヘン:ルスカ)が大きな話題で、金メダリストの上村春樹(現講道館館長、神永昭夫の弟子でもある)、ライバルの遠藤純男(1976年の全日本選手権者)や驚異の若手として台頭してきた山下泰裕あたりがスター選手だった印象がある。また岩釣については話題になっていた印象があんまりない状況で、その数年後に恐喝事件で逮捕されたりした際にも完全に過去の人扱いだった。一方、上村が1976年のモントリオールで金を取ったので、ヘーシンク、ルスカにしてやられてきた無差別級の王座奪還で日本柔道界が大いに沸いていた印象を持っている。ルスカが猪木に負けた(もちろんブック)のも話題になっていたものの、元全日本選手権者の坂口征二が当時の新日で2番手ポジションだったりしていたので、「プロレスの世界のことだから」と受け止められていたような気がする。

 もし岩釣がプロレス入りして柔道を代表して馬場に勝ったところで、例えばヘーシンクが馬場に勝ったり、ルスカあるいは坂口が猪木に勝つのと比べて、それほどインパクトがあったとも思えない。プロレスファンの間でストロングスタイルの猪木に対してショーマン派(後の言い方だと純プロレス)とされていた馬場に勝ったところで、力道山vs.木村政彦の仇討ちをしたなんて受け取る人はほとんどいなかったはずである。