地獄のハイウェイ

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人種は存在する

 DavitRiceさんの「人種は存在しない…のか?」という記事を見て、社会学方面では人種が存在しないというのが「科学的立場」だという言説があるらしいことを知った。

davitrice.hatenadiary.jp

この記事は人種概念が、人種主義(レイシズム)による社会的構築物であるという 「「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」という重要な考え方(磯 直樹)」への違和感を表明したものだが、人種にかんする政治・社会的な議論ではアメリカの「人種」の話が中心になりがちでどうしても議論が歪になってしまう。

 アメリカの人種カテゴリーに「ヒスパニック」なるものがあり、スペイン系あるいはポルトガル系だと「ヒスパニック」とか「ラティーノ」と呼ばれて「非白人」扱いされてしまう代物で、確かにこれは自然人類学的には「非科学的」なものだと思う。この分類だとメッシやC.ロナウドアメリカに移住したら「非白人」になってしまう。スペイン人やポルトガル人が「非白人」扱いされている一方、カナダに多い東欧系(スラブ系)は「白人」扱いされるという(スラブ系の方がラテン系よりも系統的にアングロサクソンに近いわけではない)変てこなものとは思う。

 そういうアメリカ社会の困った話はともかくとして、人種(race)が科学的に見て全く存在しないかと言うとそんなことはない。Y染色体(父系)やミトコンドリア(母系)のハプログループによって現生人類の遺伝集団の系統関係や移住の歴史を解析することが行われているし、更に近年はそういう少数の遺伝子座の変異の解析を超えて交雑関係も推定できるゲノム解析が系統関係の推定に用いられるようになってきている。そのような系統解析による遺伝的集団と北方モンゴロイドとかマレー・ポリネシア系といった形質人類学的な特徴づけとは大まかに対応する。そういう系統学的な分類を「人種」と呼ぶべきかどうかについては色々な意見もあろうが、そういう遺伝的集団を何と呼ぼうがそれを分類する用語ができれば、それは古典的な形質人類学の「人種」と大まかに対応するものになる。すなわちそういう古典的な形質人類学的人種概念に大まかに対応する分類群は存在するのである。

 一方で古典的な形質人類学的人種、あるいは現代的な系統学的な分類群の間の差異は、種(species)とか亜種(subspecies)と呼べるほどのものではないのは事実である。だから人種の差異を過大視するなというのは、それはそれで正しいとは思う。しかしながら、「人種」的な遺伝集団が居住地の自然環境の違いや生活様式の差に基づく適応的な形質の変化を蓄積して行けば、ダーウィンが『種の起源』("On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life")で示したように時の経過とともに遺伝的集団の分離が進めば、生物学的な種のレベルに差異が広がっていく可能性がないわけではないだろう。