2月末からのロシアのウクライナ侵略で、ソ連時代の大飢饉「ホロドモール」が再び注目を受けるようになって、つい先日12月15日には欧州議会がホロドモールをジェノサイドとして認定したという報道があった。農業集団化の失敗で1932年から1933年にソ連各地で大飢饉になったが、飢饉に加えて穀物の強制徴発によって特にウクライナでは食糧危機は非常に深刻なものになり(スターリンが民族主義的な傾向の強かったウクライナの農民を目の敵にしていたらしい)、数百万人以上が犠牲になっと言われている*1。
L.D.ランダウ*2の伝記的事項を見ると、ランダウは1932年から1937年にかけて、ハリコフ(ハルキウ)のウクライナ物理工学研究所(Ukrainian Institute of Physics and Technology、UPTI)の理論物理部長であったそうだ。またその頃、ハリコフ大学やハリコフ工科大学でも教鞭をとっていたそうである*3。つまり、ホロドモール真っ只中のウクライナにいたのである。ランダウがホロドモールについてどのように思っていたのかはよく分からないが、1938年にランダウは粛清の嵐の中で逮捕されたことは比較的よく知られていると思うが*4、ホロドモールと接点があったことはあまり知られていないようなので紹介まで。