地獄のハイウェイ

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盗まれた栄光

 先日、ドロシー・ホジキン(1910-1994)のことを書いたが、女性結晶学者としてはロザリンド・フランクリン(1920-1958)の方が一般的な知名度はあるかもしれない。ただワトソンがDNAの構造解析について書いた回想録『二重らせん』(原書1968年)でフランクリンのことを気難しくてヒステリックな女性として不当に描いたため、事情をよく知らない人達の間にネガティブなイメージを植え付け、一時は非常に評判の悪い人物として扱われてきた。フランクリンの名誉は随分と回復されてきているが、
今でも『二重らせん』を真に受けたまま人が特に日本では多いようだ。
 しかし結晶学者の間ではワトソンのアンフェアなやり方に出版当時から憤慨した人も多かった。世間にそれが届くようになったのはフランクリンの友人であったアン・セイヤーが、1975年に"Rosalind Franklin and DNA"を出版してからである。
(邦訳『ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光』は現在絶版の模様)
アン・セイヤー自身は結晶学者ではないが直接法のパイオニアの一人であるデヴィッド・セイヤー(http://en.wikipedia.org/wiki/David_Sayre)の夫人ということもあり
大方の結晶学者の見方に沿ったものだと考えて良い。アン・セイヤーが亡くなった時に夫君のデヴィッド・セイヤーが米結晶学会のニュースレターに書いた記事がネットで読めるが、
http://www.iucr.org/news/newsletter/volume-6/number-4/anne-sayre-1923-1998
そこには"Rosalind Franklin and DNA"の出版に至った事情が書かれていて、結晶学者の大部分がワトソンの『二重らせん』がフランクリンに対してアンフェアだと感じ、多くの結晶学者がアン・セイヤーにワトソンの本への反論を書くように勧めたとある。
 1980年代の自分が学生だった頃の話になるが、研究室の本棚(輪読や雑誌会をやるスペースだった)に"Rosalind Franklin and DNA"が置いてあって、フランクリンのことを悲運の結晶学者として教えられたから、日本でも結晶学関係者の間では同様に受け取られていたように思う。