地獄のハイウェイ

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アリスタルコスの太陽中心説を再考する(3)まとめ

 紀元前3世紀にアリスタルコスが宇宙の中心に太陽が位置するとした太陽中心説を唱えたことは広く知られているものの、資料が乏しいため、その学説の詳しい内容についてはよく分かっていない。アリスタルコスの太陽中心説についての情報源としては、時代的にも近く高度な数学的知識を持ったアルキメデスによる記述が最も信頼できる。また時代的に少し離れていて高度な専門性は期待できないが、プルタルコス(紀元46頃 ~120頃)によるものもある。紀元前1世紀のウィトルウィウスは、その『建築書』において数学的技芸の達人としてアルキメデスらと並べてアリスタルコスの名前を挙げ*1、また月の満ち欠けについてのアリスタルコスの説明も紹介しているが*2、残念ながら太陽中心説についての情報は伝えていない。

 アリスタルコスの太陽中心説の内容について、単なるアイデアレベルのものであったのか、ある程度の内容が伴った学説であったかも定かではないが、アイデアだけの学説ではなく、それなりの具体的な内容を伴ったものであった可能性があると推量し、自分なりにあれこれ考察*3を加えてきた。アルキメデスプルタルコスによって伝えられた情報から確実に言えることは、太陽と恒星が不動で地球は自転しながら不動の太陽の周りを回っているとする太陽中心説だということになる。それを含めて太陽中心説の内容に含まれていたことがほぼ間違いなさそうなことをリスト化すると次のようになる。

  1. 太陽と恒星は不動である。
  2. 太陽は恒星天球の中心に位置し、地球はその周りを円軌道に沿って回転している。
  3. 地球は自転し、その自転軸は地球が太陽を回る円軌道に対して傾いている。
  4. 恒星天球の大きさは地球軌道を含む天球よりもはるかに大きいが、両者の直径の比は、地球軌道を含む天球と太陽(もしくは地球)との直径の比に等しい。
  5. 月は地球の周りを回っている。
  6. 太陽の一番近くを回るのが水星で、金星はその外側を回り、そのさらに外側を地球が回っている。
  7. 地球の外側を火星が回り、火星の外側を木星が、木星の外側を土星が回っている。

このリストにおいて1と2はアルキメデスが、3はプルタルコスがそれぞれ伝えていること、4はアルキメデスが伝えているが解釈に不確定なところがあるものである。5は太陽中心説においても当たり前すぎる内容で、これに関してはウィトルウィウスが紹介しているアリスタルコスの月の理論が情報源となる。また、6と7は状況から考えて学説に含まれているとみなして問題がないものである。

 アリスタルコスの時代には周転円説は未登場なので、天文学上のライバル理論はエウドクソスの同心天球説であった。エウドクソスは惑星の運動について日周運動の他に黄道を巡る恒星周期に一つ、惑星の会合周期の往復運動のために二つの天球と、惑星当たり4個を想定していたため、同心天球説では惑星の運動に必要な天球の数が20個であった。それに対して、アリスタルコスの太陽中心説ではすべての天体の日周運動が地球の自転で説明され、惑星と地球にそれぞれの恒星周期の運動だけが残り、地球の年周運動(同心天球説なら太陽の年周運動に相当)を加えても6個に縮減されてぐっとシンプルになっている。また同心天球説は、各惑星に個別に日周運動用の天球が想定されていて統一されたシステムになっていなかったが*4太陽中心説ではすべての惑星が一つの太陽系モデルとして組み入れられ統一的なシステムとなっている。このように太陽中心説は同心天球説よりも単純であり体系的である。

 また太陽中心説には惑星の順序に加えて、各惑星が黄道を周回する恒星周期について数値が与えられていたと考えられる。というのはライバルの同心天球説において恒星周期と会合周期の値が与えられており、太陽中心説においても同様に値が与えられていた可能性が高いからである。両説を比較すると、同心天球説においては会合周期と恒星周期は独立したパラメータであるが、太陽中心説においては会合周期は惑星と地球のそれぞれの恒星周期の関係で説明される従属的なパラメータとなる。すなわち太陽中心説では同心天球説よりも少ないパラメータで体系が構成されていて、理論がより簡潔になっている。

 しかしながら太陽中心説に各惑星の恒星周期の数値が含まれていた場合でも、その数値の精確さについては分からない。ライバルの同心天球説程度の粗い数字であった可能性もあるし、観測で改良された数値を採用していた可能性もある。ウィトルウィウスの紹介する月の満ち欠けの理論の数値の精度が高くない*5ので、太陽中心説においても恒星周期の値は粗い概数であった可能性が高い。また月の公転周期と朔望月の関係について何らかの説明が含まれていても不思議はないが*6、それが含まれていたと信じるに足る根拠はない。幾何学的なモデルの提示による天文現象の説明が太陽中心説の主目的であった場合には、月の運動にしても惑星の運動にしても精度の高い値は与えられていなかったのではないかと思われる*7

 とは言え、同心天球説者のピタネのアウトリュコス*8が同心天球説の難点として認めていた惑星の明るさの変化については、まったく説明ができなかった同心天球説と異なり、太陽中心説の場合は惑星と地球の距離の変化に基づいて自然に説明できること*9は特筆すべき点であろう。

 アリスタルコスの太陽中心説に各惑星の公転軌道半径(天球半径)について何らかの数値が与えられていたかどうかは分からない。惑星の天球半径については何の数値も与えられていなかった可能性もあるが、恒星天球の半径についての値を与えていたことを考慮すると、惑星の天球半径の値が与えられていたとしてもおかしくはない。これまでの考察をまとめると、アリスタルコスがその学説で採用していた可能性のあるモデルとして次表のA~Cの候補が考えられる。

  水星 金星 地球 火星 木星 土星
モデルA 0.23 0.61 1.00 2.00 12.00 30.00
モデルB 0.38 0.75 1.00 2.00 12.00 30.00
モデルC 0.38 0.75 1.00 1.59 5.14 8.75
現代値 0.39 0.72 1.00 1.52 5.20 9.54

天球半径の値は地球のそれを1とした場合の値を示しているが、計算の前提になる数値や計算方法で数値は変化するので、表に示した数値はあくまでも目安である。ここでモデルAは、惑星の天球半径がその恒星周期に比例するとしたもの、モデルBは内惑星に関して最大離角を反映したもの、モデルCは内惑星の最大離角に加えて外惑星の逆行幅を反映したものである。モデルAはシンプルな仮定から導かれるものであり、水星や金星に最大離角が存在することや金星の最大離角が水星のそれよりも大きいことが説明できるので、これがアリスタルコスの学説の内容であった可能性は十分にあると思われる。ただ最大離角の数値が実際の観測値よりも小さくなることは幾何学的に容易に理解されるので、幾何学的な考察からモデルBに至っていた可能性が高いのではないだろうか。モデルBからは水星と金星の最大離角の値について説明を与えることができるので、『太陽と月の大きさと距離について』のような当時の数学書の仮説や要請から出発して命題を証明する演繹的な叙述スタイルと適合してしている点でも大いにあり得ると思われる。これに対してモデルCでは、アリスタルコスには逆行運動の幅を所与として惑星の天球半径を求めることができとしても、天球半径と恒星周期を所与として逆行運動の幅を説明することは出来なかったと考えられる*10。演繹的な叙述スタイルには馴染まない命題がアリスタルコスの著作に含まれていたとは考え難い。外惑星の逆行運動の幅を考慮したモデルCであった可能性は極めて低いのではないかと思う。

 太陽中心説では惑星の運動が一様でないこと(第二変則性)については定性的な説明を与えていたと思われるが、逆行運動の十分な説明に成功していたと信ずべき理由はない。とはいうもののライバルの同心天球説でも火星や金星については逆行について満足なモデルが構成できていなかったようなので*11、この点で太陽中心説が同心天球説に対して大きく劣っている訳ではない。

 その一方で、アリスタルコスの理論では宇宙の中心に太陽を置いているため、地球が太陽の周りを等速円運動で周回することで、太陽の見掛けの年周運動(太陽中心説なので地球の年周運動による見掛けの運動)は一様になってしまい、太陽の年周運動が一様でないこと(第一変則性)の説明は含まれていなかったであろうと推測される。同心天球説ではカリポスが第一変則性の説明のために太陽運動の天球の追加を試みているので、その点では太陽中心説は後れを取っていたことになる。もちろん地球の年周運動に天球を追加して理論を改良することは可能であるが*12、その場合には地球から見た天体の見掛けの動きが複雑化してしまい記述が非常に面倒になるので、アリスタルコスがそこまでやったとは思われない。

 また同心天球説においても月の公転軌道(白道)が黄道から傾いていることは説明されているので、太陽中心説においても同様に、月の軌道が黄道面から傾いていたと考えられる。しかしながら、朔望月の値の精度が高くなかったのなら、月の交点(黄道白道の交点)の移動に関しては理論に含まれていなかった可能性が高いし、そうであるなら日食や月食の予測はできなかったと考えるべきである。日食や月食の予測は、実用的には幾何学モデルがなくても周期だけを考えれば予測は可能なので、それが深刻な問題とは考えられなかったかも知れないが、アリスタルコスの理論が「現象を救う」(現象にもっともらしい説明を与える)性格のものであったことを示している。

 多くの科学史家は、自然学の常識に反して地球が宇宙の中心に位置しないという自然学との齟齬があるため、アリスタルコスの太陽中心説は広く受け入れられなかったと考えている。しかしながら、それまでの同心天球説に対して多くの点で理論上の優位を示すことができているので、同心天球説の理論的覇権を突き崩したのではないだろうか。実際の観測データと突き合わせるためには地球中心の観点へのわざわざ変換をする必要があってちょっと使いにくいこともあるので、実際の天体運行の予測に使うことができるものとは見なされていなかったと思うが、当時の天文学者の間では現象を救う幾何学的仕掛けとしてして受け取られたのではないかとも思わう。

*1:『建築書』の該当箇所の英訳は次のようなものである。

As for men upon whom nature has bestowed so much ingenuity, acuteness, and memory that they are able to have a thorough knowledge of geometry, astronomy, music, and the other arts, they go beyond the functions of architects and become pure mathematicians. Hence they can readily take up positions against those arts because many are the artistic weapons with which they are armed. Such men, however, are rarely found, but there have been such at times; for example, Aristarchus of Samos, Philolaus and Archytas of Tarentum, Apollonius of Perga, Eratosthenes of Cyrene, and among Syracusans Archimedes and Scopinas, who through mathematics and natural philosophy discovered, expounded, and left to posterity many things in connexion with mechanics and with sundials.

幾何学天文学、音楽、その他の技芸に精通できるほどの独創性、鋭敏さ、記憶力を天より授けられた人間は、建築家の役割を越えて純粋な数学者となる。それゆえ彼らは、その武装した技芸の武器の多くをもって、それらの技芸に対して容易に地位を占めることができるのである。そのような人物はめったに見いだされないものであるが時には現れる、例えばサモスのアリスタルコス、タレントゥムのフィロラオスとアルキタス、ペルガのアポロニウス、キュレネのエラトステネス、そしてシラクサの人アルキメデスやスコピナスなどは、数学と自然哲学を通して、機械学や日時計に関連する多くのことを発見し、説明し、後世に残した。

ウィトルウィウス『建築書』1.1.16、英文はToposTextから)

*2:ウィトルウィウス『建築書』9.2.3、9.2.4

*3:アリスタルコスの太陽中心説に関する考察は次の3つである。

 

*4:天球を実在のものとして組み合わせたシステムを考えたアリストテレスもいるが、残念ながら日周運動の扱いがとても杜撰であり、そのままではとても天文学の理論とは言えない。

*5:朔望月(月の満ち欠けの周期)を約28日としているが、メトン周期でもカリポス周期でも朔望月は約29.53日である。

*6:カリポス周期の値である朔望月29.53日と太陽年365.25日から月の公転周期を計算すると27.32日になる

*7:後のヒッパルコス(紀元前190頃~120頃)のような理論と観測の一致を目指す動機がアリスタルコスには欠けていたかもしれない。

*8:紀元前360頃~290頃

*9:外惑星については衝において、内惑星については内合において距離が最小になる。

*10:逆行と順行が切り替わる留の条件の解明は後のアポロニオス(アポロニウス)による。

*11:火星と金星について満足なモデルがないことは、例えばエウドクソスの研究者であるH.Mendellのサイトに説明がある。

*12:同心天球説においてカリポスが太陽運動に追加した2つの天球は、惑星の往復運動用の2つの天球と同様のものだと思われる。