地獄のハイウェイ

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アリスタルコスの太陽中心説を再考する(2)外惑星について

 前回の記事「アリスタルコスの太陽中心説を再考する(1)内惑星について」の続きで、アリスタルコスの太陽中心説における外惑星(火星、木星土星)について考えてみた。

 外惑星は内惑星と違って、太陽の位置による束縛を受けず黄道上で任意の離角をとり、地球を中心に太陽とちょうど反対の位置にくる衝が存在することから、太陽中心モデルでは周回軌道(惑星の天球の大円)が地球の周回軌道(地球の天球の大円)の外側になければならないことは明らかである。また太陽中心モデルでは、衝のときに地球から惑星までの距離が最も短くなるので、衝のときに最も明るく輝いて見えることが説明できる。この点では、地球から惑星までの距離が不変であるために惑星の明るさの変化が説明できない同心天球説よりも太陽中心説の方が優れていることがわかる。

 外惑星についての観測データとして、アリスタルコスの時代よりも以前から、黄道帯を周回する恒星周期については知られていたようである。先行するエウドクソスの同心天球説の場合、外惑星の恒星周期については火星2年、木星12年、土星30年としていたようである*1古代ギリシアでは恒星周期がより長い方がより遠くを回っているだろうとする考え方が広く受容されていたので*2、恐らくアリスタルコスはこの考え方に基づいて、太陽から近い順に地球、火星、木星土星としていたのだろうと思われる。

 外惑星の会合周期もアリスタルコスが利用できた観測データであろうと思われるが、エウドクソスの同心天球説での値は火星が8か月と20日(260日)、木星土星が13か月となっていたようだ*3。この火星の数値は明らかに異常で、20と8か月(840日)の間違いではないかとの説があるようだし*4、あまり信頼できなさそうな会合周期の値*5から惑星天球の回転周期を求めるのは苦しいので*6、恒星周期の値の方から会合周期を計算してみることにする。恒星周期から求めた会合周期は、火星が2年(730日)、木星が13.1か月、土星が12.4か月になり、観測値とひどく乖離しているわけではないという結果になる。

 アリスタルコスが、太陽から惑星までの距離について具体的な数値を与えていたかどうかについては文献的な証拠は何もない。ケプラーの第3法則を知っていれば、軌道半径の3乗が公転周期の2乗に比例することから、恒星周期2年、12年、30年から、太陽から地球までの距離を1として、火星については1.59、木星については5.24、土星については9.66、と求めることができるが、そのようなことがアリスタルコスにできるはずもない。アリスタルコスができそうな距離についての推定方法*7としては、まずシンプルに太陽から惑星までの距離を恒星周期に比例させることではないかと思われる。もしも内惑星について前回の記事に書いたような値を求めることができていたとしたら、惑星天球の半径は天球の回転周期に比例するように見えなくもないので、太陽から惑星までの距離と恒星周期の比例関係に関する信念を強化することになっていたかもしれない。仮に太陽からの距離(天球半径)と恒星周期(角速度の逆数)が比例しているとした場合、太陽から地球までの距離を1として、火星までが2、木星までが12、土星までが30となる。この太陽中心モデルのサイズ感を実感できるような想像図を描くと次のようなものになる。

天球半径が恒星周期に比例した場合の外惑星の天球の大きさの比較

 しかし、この外惑星の天球パラメータには致命的とも言える大きな欠点がある。というのは、円運動の接線速度が同じであれば、衝のときに地球と外惑星は同じ方向に同じだけ空間を移動するので、衝の近傍で地球から外惑星を結ぶ直線がほぼ平行になってしまい、衝のときに地球が外惑星を追い越すことがないのである。つまり惑星が衝の位置を通過するときに逆行現象が起きないのである。この状況を簡単な模式図で示すと次のようになる。

外惑星の逆行が生じない場合の模式図

図では地球が1→2→3→4と動く間に、外惑星はa→b→c→dと移動し、地球から外惑星を見て恒星天球に投影された外惑星の位置はA→B→C→Dと変化する。この恒星天球に投影された外惑星の移動方向は、地球から見た太陽の恒星天球への投影の移動方向*8と同じになる(つまり順行する)ことがわかる。太陽からの距離(天球半径)と回転周期(角速度の逆数)が比例しているとしたのは、接線速度*9が同じであるという前提によるのだが、この前提のゆえに衝において外惑星が逆行がすることができないのである。逆行が生じるためには、衝における外惑星の周回運動における接線速度の大きさが、地球のそれよりも小さくなければならない。したがって、角速度に合わせるためには、モデルのパラメータである太陽からの惑星までの距離を周期に比例するとした場合よりも短くする必要がある。

 アリスタルコスが、距離-周期比例モデルでは外惑星の逆行が説明できないことに気が付いていたかどうかは不明である。おそらく気が付いていなかったのではないかと思うが、もしも万が一にでも気が付いていたら外惑星の天球の半径について、どのようなアプローチが可能であったろうかと考えてみた。逆行が開始したり終了したりする留の成立条件についてアリスタルコスが知らなかったであろうことは歴史的にほぼ間違いないが、留の正確な成立条件を知らないとしても、可能だったかもしれない内容を検討してみる。

 それで、あれこれ考えてみたのだが、当時入手できそうな観測データとしては、惑星の逆行期間があることに気が付いた。アリスタルコスが逆行期間について粗い数字を知っていても不思議はない*10。逆行期間の概略の値は、火星が約2か月、木星が4か月、土星が5か月である。逆行期間中に惑星も地球も等速円運動をしているので、火星については2か月の逆行期間中に30°動いて同じ期間中に地球が60°動き、木星については4か月の期間中に10°動いて地球が120°動き、土星は5か月の期間中に5°動いて地球が150°動くことになる。逆行期間に加えて逆行運動の範囲の値、例えば逆行開始位置での外惑星の恒星天球上の見掛けの位置が黄道上で衝の位置からどのくらい離れているか(黄経の差)が判れば、それに基づいて惑星の配置図を作ることができる。

逆行開始から逆行終了までの惑星配置の模式図

この図では、地球が1→2→3→4と動く間に、外惑星はa→b→c→dと移動し、恒星天球に投影された外惑星の位置は、Aから逆行を開始し逆行が終了するDまで移動する。逆行開始時において太陽から見た惑星は、外惑星の角速度から求められる点pと太陽sとを結んだ直線ps上にある。一方で、外惑星は恒星天球上の投影位置Aとその時点での地球の位置(図上の1)を結んだ直線(A-1)上にあるので、外惑星は両直線の交点aに位置していることがわかる。また、逆行終了時においては、直線qsと直線D-4の交点dに惑星は位置している。このようにして配置図から惑星天球の半径(軌道半径)の大きさは、線分saまたは線分sdの長さとして求めることができる。

 この方法で惑星の軌道半径を求めることは、三角関数が使えないと純粋に幾何学的な手法では難しいが、図面を描いて図面上で長さを測るといった言わば機械学者の手法ならできないことはない。当時の天文学者も観測機器の製作のための知識が必要だったようであるし、アリスタルコス自身もある種の日時計の発明者としても伝わっている*11ので、機械学者の手法を使ったかもしれないと想像することは、それほど荒唐無稽ではないと思う。

 アリスタルコスの頃に逆行運動の幅について、どのような数値が得られていたのかについては、調べてみた範囲ではよくわからなかった。占星術では惑星の動きは黄道十二宮の出入りで記述されることが多いようなので、バビロニアの方ではそれなりの観測データがあったはずだが、それをアリスタルコスが手にしていたかどうかはよくわからない。何の観測もされていないと逆行運動の存在がわからないので、もしかすると当時のギリシア天文学では、かなり粗い数値(宮の黄道上の幅の1/2とか1/3とか)は得られていたかもしれない。現代の知識では、逆行運動の幅は、火星の場合は10~19°の幅で変動し、木星の場合は約10°、土星は約7°のようであるので、切りの良い数字として、十二宮の一つの宮の幅(30°)の1/2、1/3、1/4を使ってみることにする。
 恒星天球の半径として前々回の記事での考察をもとに地球軌道半径の229倍として、CADソフトを使って作図して、外惑星の軌道半径(惑星天球の半径)を測ってみたところ、地球軌道半径を1として、火星が1.59、木星が5.14、土星が8.75となった。ケプラーの第3法則を使って恒星周期から求めた天球半径の値(火星1.59、木星5.24、土星9.66)と比べると、かなり良い推測ができていることが分かる。このような推測は当時の知識の水準でも不可能ではなかっただろうと思うが、実際にアリスタルコスがここまで到達していたと想像するのは、ちょっと過剰な期待であるとも思う。

 

*1:数値はシンプリキオスの『天体論註解』に記されたもの。例によってエウドクソスの数値よりもバビロニア天文学の数値の方がずっと良くて、小数表記で火星1.88年、木星11.83年、土星29.5年。

*2:等速円運動の接線速度が同じであれば、円の半径が大きくなるほど角速度は反比例して小さくなる。

*3:シンプリキオス『天体論註解』

*4:バビロニアの数値は、火星779日、木星399日、土星378日。

*5:エウドクソスの値は火星の数値も異常だが、木星土星の会合周期が共に13ヶ月となっているようにちょっとアバウトなところがある。

*6:因みにバビロニアの会合周期の数値から、天球の回転周期を求めると、火星が687日(1.88年)、木星が4,283日(11.7年)、土星が10,613日(29.1年)となり、恒星周期に関する彼らの観測値とは良く合う。

*7:天文学の範囲に入るとは言い難いが、ピュタゴラス派のテトラクテュスとかの数の調和の理論の流れを組む思弁的な議論があるにはある。例えば、プラトンは『ティマイオス』で神が宇宙の内側から1、2、3、4、8、9、27倍の大きさになるように創造したというような話をしている。

*8:図中では、地球から見た太陽の恒星天球への投影の代わりに、地球から見た太陽のちょうど反対側にあたる点(すなわち太陽から見た地球の投影)であるs1~s4を示している。

*9:アリスタルコスが”接線速度”という用語を使ったわけではない。

*10:会合周期の観測の中でデータは得られていただろうと想像される。

*11:ウィトルウィウス『建築書』