地獄のハイウェイ

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アリスタルコスの恒星天球

 サモスのアリスタルコス(紀元前310頃~230頃)が太陽を宇宙の中心とする地動説(太陽中心説)を唱えたことは良く知られていて、自分もそれに関連する記事を書いたことがあるが、アリスタルコスの地動説はそれなりの知名度を持ちながらも、その中身については必ずしも十分に検討されているわけでもないようである。そのように思われるのは、書籍やネット情報でアリスタルコスの太陽中心説において恒星天球の半径について具体的な数値がなかったかのような記述になっている例を散見するからである。例えば、コペルニクスの『天球回転論』の邦訳*1の訳者解説では、アリスタルコスの太陽中心説の内容について、

(1)恒星と太陽は不動、(2)地球は太陽を中心として円軌道で回転し、(3)恒星天球は太陽を中心とし、その半径は膨大な大きさを持つ

としているし、天文学会の運営する天文学辞典のアリスタルコスの項では、

アリスタルコスの太陽中心説は、アルキメデスプルタルコスによって断片的に紹介されている。「天球の中心に太陽があり、それは不動で、地球が太陽をめぐっており、恒星の天球までの距離はとてつもなく遠い」という説を述べた書物を出版した、とアルキメデスは紹介し、それは単に数学的な話だとした。またプルタルコスは、恒星の日周運動は地球自転によると信じていたヘラクレイデスの影響をアリスタルコスが受けているという。地動説を唱えた最初の人と考えられているが、当時その説はほとんど支持されなかった。

astro-dic.jp

となっている。このように、恒星天球の半径には具体的な数値がなかったかのような記述になっていることが多い。しかし、アルキメデスの『砂粒を数えるもの』を読むと、アリスタルコスの太陽中心説において、恒星天球の半径についてもう少し具体的な情報が与えられていることがわかる。

 ご存じのように、大多数の天文学者たちの宇宙と申しますのは、その中心が地球の中心であり、その半径が太陽の中心と地球の中心とのあいだの直線に等しいような、球のことでございます。これは、あなたが天文学者たちからお聞きおよびの宇宙の輪郭でございます。ところがサモスの人アリスタルコスは、いくつかの仮説からなる書物を著わしまして、宇宙はいま申しましたものよりも幾層倍も大きいという結論を、それらの仮定から導きだしたのでございます。

 と申しますのは、アリスタルコスの仮定しましたのは、(一)諸恒星と太陽は不動のままであるということ、(二)地球は太陽の回りに一つの円周を描いて回転し、その円軌道の中心に太陽が横たわっているということ、(三)諸恒星の球は太陽そのものと同じものを中心とし、その球の大きさは、彼が地球はそこを回転すると仮定しましたその円の、恒星への距離に対する比が、球の中心のその曲面に対する比に同じだ、ということでした。

 だが、こういうことがありえないのは、みやすい道理でございます。と申しますのは、球の中心にはなんらの大きさもありませんので、中心は球面に対してなんらかの比をもつとは認めることができないからであります。そこで、アリスタルコスはこう考えたとみるべきであります。すなわち、地球はいわば宇宙の中心だとわれわれは考えますから、地球の、上述しました宇宙に対する比は、彼が地球がそこを回転するとしました円をそのうちに含む球の、恒星球に対する比に同じである、ということであります。と申しますのは、彼はこのような仮定に合うように(天体)現象の論証を運んでおり、またとりわけ地球がそこを運動すると彼が考えている球の大きさが、われわれの現にいう宇宙に等しいと仮定しているようにみえるからであります。

(三田博雄訳『砂粒を算えるもの』((田村松平編『世界の名著9:ギリシアの科学』所収)を一部改変

ここで、アルキメデスが”宇宙”と呼んでいるのはアリスタルコスのモデルにおける地球の天球(天動説における太陽の天球)であるので、

(A) (地球の天球半径/地球半径)=(恒星天球半径/地球の天球半径)*2

であるとアルキメデスは解釈している。アリスタルコスの太陽中心説の原典が失われているため、アルキメデスの解釈が妥当かどうかの判断は難しいところではあるが、現存するアリスタルコスの著作『太陽と月の大きさと距離について』の仮定2において、「地球は月の動く天球に対して点であり中心であるという関係にある」*3と表現しているので、アリスタルコスの言葉遣いでは”球の中心”という言葉で天球の中心に位置する天体(太陽中心説なら太陽、地球中心説なら地球)を指しているというのもありそうなことである。もしかすると太陽中心説にふさわしく「太陽は地球の動く天球に対して点であり中心であるという関係にある」とでも表現していて、

(B) (地球の天球半径/太陽半径)=(恒星天球半径/地球の天球半径)

であったかもしれない。ここで重要な点はアリスタルコスの太陽中心モデルにおいて恒星天球は有限の大きさを持つとされていることである*4

 さて、天体や天球の大きさに関する数値については、アリスタルコスの『太陽と月の大きさと距離について』において記述があるのだが、それらの内容は次のようなものである。

  • 太陽と地球との距離は月と地球との距離の18倍よりも大きく20倍よりも小さい(命題7)。
  • 太陽の直径は月の直径の18倍よりも大きく20倍よりも小さい(命題9)。
  • 太陽の直径は地球の直径に対しては19:3よりも大きく43:6よりも小さい(命題15)。
  • 地球の直径は月の直径に対して108:43よりも大きく60:19よりも小さい(命題17)。
  • 月の直径は地球から月への距離の30分の1よりも大きく45分の2よりも小さい(命題11)。

 これらの数値の中で、天体の大きさと天球の大きさの関係について述べているのは、命題11における月の直径と月への距離(月の天球の半径)の比の値である。この数値は大雑把に言うと*5、仮定4で「月は黄道十二宮の一つの15 分の1の部分をなす」*6としていることから月の視直径(角直径)について2°として、それと天球の半径との比較で求められている。この関係は『太陽と月の大きさと距離について』の中では明示的には言及されていないが、太陽と月の視直径がほぼ同じなので*7、太陽の直径と地球から太陽への距離の比についても成立する。

 しかし、月の視直径について『太陽と月の大きさと距離について』の2°という値をそのまま受け入れることには問題がある。というのは、アルキメデスが『砂粒を数えるもの』の中で「アリスタルコスは、太陽が獣帯圏のほぼ1/720に見えることを発見しましたので」(三田訳)、と述べているので、太陽中心説を述べた失われたアリスタルコスの著作の中では太陽の視直径を0.5°としていた可能性もある*8。ここはアルキメデスの証言を信用して、太陽の視直径の値を0.5°として考察を進める。

 地球から太陽への距離をS、太陽の半径をsとし、便宜的に円周率πの近似値として22/7を用いる*9と、2S×(22/7)=2s×720 から、S/s≒229、を得ることができる。考察の便宜のため、アリスタルコスが数値を挟む区間で表示しているところを上端と下端の平均した値を用いることにすると、

  • 太陽と地球との距離は月と地球との距離の19倍である。
  • 太陽の直径は地球の直径の6.75倍である。
  • 地球から太陽への距離は太陽の半径の229倍である。

といった太陽中心モデルのパラメータを得ることになる*10。このモデルでは地球から太陽への距離すなわち地球の動く天球の半径は地球の半径の約1,546倍ということになる*11。もし(B)の解釈を採用すると恒星天球の半径は地球の動く天球の半径の229倍であり、また354,034地球半径となる*12。図に書くとよくわかるが、半径22.9cmの恒星天球の中心にぽつんと半径1mmの地球の動く天球が存在することになり、太陽と地球だけのモデルでは、パッと見の見掛け上は太陽が中心でも地球が中心でもあまり違わない*13

解釈(B)によるアリスタルコスの恒星天球

 この恒星天球の半径が地球の動く天球の半径の229倍であるモデルの場合、恒星の年周視差は約0.5°になる。年周視差0.5°という値は太陽の視直径0.5と変わらないが、年周視差を検出できるとアリスタルコスが予想していたかのかどうかわからないし*14、そもそも恒星の年周視差の問題をアリスタルコスが意識していたかどうかもよくわからない。ただアリスタルコスは『太陽と月の大きさと距離について』の中で、月食で太陽-地球-月が並ぶ際の地球の影の作る円錐を論じているので、地球上の異なる地点から太陽を見る際の視差(太陽視差)のことは理解していたはずである。アルキメデスの同時代人エラトステネスが地球の大きさを測定した際には太陽視差が無いかあるいは無視できるものとして扱っているので、もしかすると、年周視差が太陽視差と同程度になるようにアリスタルコスが考えていた可能性もないではない。もしそうだとすれば、アルキメデスの採用した(A)の解釈のように、恒星天球の半径と地球の動く天球の半径との比が地球の天球の半径と地球半径との比と同じであるとして、恒星天球の半径を地球の動く天球の半径の1,546倍としていた可能性もある。この解釈(A)の1,546倍モデルでは年周視差は約0.07°になるので、ほぼ間違いなく当時の観測技術では年周視差は検出できないであろう。

解釈(A)による太陽視差と年周視差のアナロジー


 アリスタルコスの太陽中心説の原典が失われているため、(A)と(B)のどちらがより適切な解釈であるのかについては決め手はない。しかしながら、アルキメデスによる「諸恒星の球は太陽そのものと同じものを中心とし、その球の大きさは、彼が地球はそこを回転すると仮定しましたその円の、恒星への距離に対する比が、球の中心のその曲面に対する比に同じだ、ということでした。*15という言及の中の「球の中心」というところに「球の中心たる太陽」を入れることになる解釈(B)の方が、文章解釈として飛躍が少なくて良いのではないかと思う。また、アリスタルコスが地球の公転軌道を「円」と呼んでいるので「球の中心」という箇所を「(地球が公転する)円の中心」と置き換えて、「円」と恒星天球の半径の比が、「円」の半径とその中心である天体(つまり太陽)の半径との比と同じだと読む方が自然ではないかと思う。アリスタルコスが地球中心説を考えた頃は、ライバルとなる幾何学的な天体運行のモデルはエウドクソス由来の同心天球説であり、その時代に年周視差の検出が研究課題として意識されていたとは考えにくい*16。このためアリスタルコスには、年周視差が未検出であることを説明しようとする動機は乏しいと思われる。年周視差を検出できない理由を考える必要があるのは、年周視差の未検出が太陽中心説の弱点となるという批判が出てきてから、つまり太陽中心説が提案されたよりも後になってからであろう。むしろライバル理論には説明不可能な年周視差が検出されれば自説に有利になるという状況なので、わざわざ自説の証拠が見つけにくくなるような解釈(A)のモデルを考える積極的な理由は見当たらず、素直に解釈(B)のモデルであったのではないかと思う。

 

*1:高橋憲一訳『完訳天球回転論』(みすず書房

*2:地球の天球半径は地球と太陽の中心間距離で、すなわち現代の天文単位(astronomical unit)に相当する。

*3:T.L.ヒースによる英訳では”That the earth is in the relation of a point and centre to the sphere in which the moon moves. ”となっている。

*4:G.E.R.ロイドの『後期ギリシア科学』では、アリスタルコスが恒星が無限に遠くにあるとしたと解釈されているが、その解釈だと地球の天球半径と球の中心の無限小あるいは零に対する比が、無限大の恒星天球半径と地球の天球半径との比と比較されていることになる。当時のギリシア数学では零はもちろん無限小であっても比例論の対象ではなかったのだから(アルキメデスは「比をもつとは認めることができない」と言っている)、アナクロニズムに陥っていると思われる。)

*5:アリスタルコスはもっと精密に月の直径と視直径の幾何学的関係について論じている。

*6:That the moon subtends one fifteenth part of a sign of the zodiac.

*7:アリスタルコスは明示的には仮定としては掲げずに、皆既日食の際に太陽と月が完全に重なることの議論を行う命題8において、「しかし実際のところ、日食で全体が覆われるのであり、かつ日食で覆われたままであることはない、このことは観察から明らかである」(But it is in fact totally eclipsed and does not remain eclipsed: for this is manifest from observation.)と言って、太陽と月の視直径が同じであるとしている。

*8:『太陽と月の大きさと距離について』では月の視直径について述べているのに対して、アルキメデスは太陽の視直径について言及しているので、『太陽と月の大きさと距離について』とは異なる資料を見ていたとも推測できる。

*9:アルキメデスはその著作『円の測定』で、円周率が22/7よりも小さいことを示しているが、アリスタルコスがそのような近似値を知っていたかどうかはわからない。

*10:地球から月への距離は太陽半径の約12倍。

*11:プトレマイオスの『アルマゲスト』では、異なる方法で地球から太陽までの距離を求め、地球半径の1,210倍としているので、大きくは違わないが、アリスタルコスの方が少し大きいことになる。

*12:プトレマイオスの『惑星仮説』では恒星天球の半径は地球半径の19,865倍(プトレマイオスの体系において地球から太陽までの距離の16.4倍)なので、アリスタルコスの恒星天球の方がかなり大きいことになる。

*13:このモデルで太陽と地球の密度が同じと仮定した場合、太陽と地球の共通重心は太陽の中心から0.74太陽半径のところにある。現代の知識では地球-月の共通重心は地球中心から約0.74地球半径のところにあるので、偶然の一致とは言え興味深い。ただ天秤の釣り合いや重心の問題に詳しいアルキメデスの場合はともかく、アリスタルコス自身がこのような重心位置に関する考察をしていたと想像するのは行き過ぎであると思う。

*14:同一時刻での測定とはなりえない年周視差の検出は、当時の技術では非常に困難であったであろうと思われる。

*15:該当部分のT.Lヒースの英訳は”that the sphere of the fixed stars, situated about the same centre as the sun, is so great that the circle in which he supposes the earth to revolve bears such a proportion to the distance of the fixed stars as the centre of the sphere bears to its surface.

*16:アリスタルコスに先立って地球の自転のアイデアを考えたポントスのヘレクレイデスが、金星と水星が太陽を中心に回る部分的太陽中心説を唱えたと言われているが、それも宇宙の中心は地球であり年周視差について考えることはできない。