地獄のハイウェイ

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アリスタルコスの太陽中心説を再考する(1)内惑星について

 先日、アリスタルコスの太陽中心説(地動説)について「アリスタルコスの恒星天球」という記事を書いたので、興味を持ってちょっと調べてみたのだが、アリスタルコスが太陽中心説を書いた著作が失われてしまっているため、太陽中心説の具体的な中身についてはよく分かっていないようだ。アルキメデスの『砂粒を数えるもの』における言及からは、地球の自転のような当然の帰結*1を除くと、惑星の順序について書かれていたかどうかさえよく分からない。したがって、アリスタルコスの太陽中心説における惑星の順序や各惑星天球の半径や回転速度などのパラメータがどのようなものであったかについては、我々は想像するしかない。

 とはいうものの、当時の天文学の知識などについては他の資料などからある程度は明らかにされているので、それに基づいて「このくらいの内容は含まれていて当然であろう」とか「このくらいの内容であったとしても不思議ではないだろう」と推測することはできる。

 まず、アリスタルコスの太陽中心説に含まれていたことがほぼ確実だろうと推測できることは、内惑星*2すなわち金星と水星の太陽からの順序についてである。

 アリスタルコスの頃までには月が惑星を隠す星食*3から、月が最も地球に近いと考えられていたが、内惑星の方が太陽よりも地球*4から遠いという学説も存在していたようだ。アリスタルコスよりも少し後の時代のエラトステネスも太陽が惑星よりも地球に近いとしていたようである*5。エラトステネスが太陽の方が内惑星よりも地球に近いとしていたことは、エウドクソスらの同心天球説*6では内惑星と太陽について地球(=宇宙の中心)からの順序を決定できていなかったことを示している。惑星順序は、周転円説でも一意的に決めることができていない。プトレマイオスの頃までには地球から月、水星、金星、太陽の順が天文学者の間で標準的な学説になっていたようだが、『アルマゲスト』では、内惑星の太陽面通過が観測できていなかったことを理由に太陽が内惑星よりも地球に近いとする異説を述べる天文学者がいることに触れ、惑星順序については観測からは決められないが、標準的な順序の方がもっともらしいとしている。また外惑星(火星、木星土星)の場合は、その黄道帯を周回する周期(恒星周期、sidereal period)がより長い方がより遠くを回っているだろうとする考えに基づいて、天文学者たちの間でコンセンサスがあったようだが、太陽と内惑星は恒星周期がいずれも一年であるので、この考え方では太陽と内惑星の順序の決めようがない。

 内惑星が外惑星と異なり、時には太陽に先行して地平から昇り、時には太陽の後に地平に没するように、太陽の前後を行ったり来たりすることは、プラトンの頃にはよく知られていたようで、『ティマイオス』には

そこで、月は地球をめぐる第一の軌道へ、太陽は地球のまわりの第二の軌道へ、また暁の明星(金星)やヘルメスに捧げたといわれる星(水星)は、太陽と同じ速度で回転するが、しかし、太陽とは逆に向かう力を持った軌道に置いた。そのため、太陽とヘルメスの星(水星)と暁の明星(金星)は、同じように、互いに追いついたり追いつかれたりするのである。

(岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』より引用)

とある。内惑星が太陽から大きく離れた位置をとらないこと、すなわち太陽からの離角が一定の範囲内に収まることは広く知られていたわけである。ポントスのヘラクレイデス(紀元前390頃~310頃)は、このような知識を背景に水星と金星が太陽の周りを回っているとする部分的太陽中心説を唱えたものと思われる*7。ただしヘラクレイデスが部分的太陽中心説を唱えたとしても、単なるアイデアレベルだったのかも知れないし、同時代の天文学者たちが行っていたであろう最大離角や会合周期などの観測結果が反映されていたかどうかは不明である。

 部分的太陽中心説に数値パラメータがあったかどうかは不明だが、傑出した数学者であり天文学者でもあったエウドクソスによる天体理論である同心天球説の方には、数値パラメータが与えられていたようだ。同心天球説の惑星の運動モデルは、日周運動の第1天球と黄道を周回する第2天球と、惑星に往復運動を与える第3天球と第4天球の組み合わせからなっていて、水星と金星の第3天球の極は同じであるとされている。当然のこと水星と金星の第3天球の極は太陽と同じく1年周期で黄道を巡り、その位置は太陽が内惑星の往復運動の中心と一致するように設定されていたものと推測される。また同心天球説においては、会合周期に重要な第3天球の回転周期や往復運動の幅を与える第4天球の極の位置などに数値パラメータが与えられていたことは間違いないだろう*8

 アリスタルコスが彼の太陽中心説を考え出す前に、部分的太陽中心説を知っていたかどうかについては確実な証拠はないが、内惑星の動きが太陽の黄道上の位置に束縛されていることを知らなかったはずはない。太陽中心モデルであれば、惑星の天球が地球の天球の内側にあると、地球から見た惑星と太陽の位置に関する制限をかけることになるのは明白である。更に太陽を中心とした往復運動の幅の大小から惑星の天球の半径の大小についての判断も可能になる。

 

太陽中心説における内惑星の最大離角

水星の方が金星よりも最大離角が小さいので、太陽に近いのは水星の方だと判断される。このためアリスタルコスのモデルでは太陽、水星、金星、地球の順になっていただろうことは、ほぼ間違いないだろうと推測される。

 最大離角の数値が得られていれば*9、太陽から地球までの距離との比較した惑星の天球半径が求められる。残念ながらアリスタルコスのモデルに水星や金星の天球半径の具体的数値が与えられていたと期待する根拠は薄弱である。しかしながら同心天球説の方で、内惑星の往復運動の幅(逆行の幅ではない)が与えられていたのであれば、太陽中心説において内惑星の天球半径が与えられていたとしても不思議ではないだろう。

 現代的知識から見れば惑星軌道は楕円で太陽も中心ではなく楕円の焦点にあり、惑星の公転面も一致しないので、最大離角は観測する機会によって変動するし(したがって最大離角の最大値というものが存在する)、当時の観測方法の精度はさほど高くないだろうから、内惑星の天球半径として正確な値が得られていたはずもないが、サイズ感を実感できるような想像図を描くために、もっともらしい数値を与えてみることを試みる。さて、公転面が一致するとして平均軌道半径*10から求めた最大離角は、水星が22.8°、金星が46.3°である。アリスタルコスの時代には三角関数はないのだから、どこまで数値的に求めることができたかは分からないが、あり得そうな角度範囲を適当に想定して使ってみることにして、水星は15°以上30°以下、金星は45°以上52.5°以下あたりを考える*11。すると太陽から惑星までの距離は太陽から地球までの距離を1として、水星の場合は0.259以上0.5以下、金星の場合は0.707*12以上0.793以下、といった感じになる。便宜のためにそれぞれの上端と下端の値の平均を使うと、水星の場合は0.38、金星の場合は0.75といった具合になる。アリスタルコスがこの数値ぴったりな値を与えていた可能性はちょっとありそうにないが、それほどかけ離れていない粗い近似値を得ていたとしても想定可能な範囲内ではないかと思う。この数値を使ってモデルを描くと次のようなものになる。

内惑星の天球の大きさの比較

 次に、アリスタルコスの太陽中心説に含まれていても不思議ではないだろう、むしろ含まれていただろうと推測できることは、内惑星の天球の回転周期である。太陽中心モデルでも惑星の天球半径を考慮することなく惑星の公転だけを考えれば良いので、会合周期から惑星天球の回転周期を求めることができる。考え易いのは太陽から見て惑星と地球が直線上に来る内合から次の内合までの期間についてである。会合周期をs、地球の角速度(公転周期Tの逆数)を1/T、内惑星の角速度を1/t(公転周期tの逆数)とすると、初等算術の旅人算の要領で角速度の差の逆数が会合周期になるという関係を使えばよい*13。会合周期の数値については、エウドクソスによると水星の会合周期が110日、金星の会合周期が19か月とのことであるから*14、天球の回転周期(公転周期)を求めると、水星84.5日(0.23年)、金星222.5日(0.61年)となる。

 周期がより長い方が中心からより遠くを周回しているだろうとの考えに基づいて、天球の回転周期の大小から、水星の方が金星よりも太陽に近く、金星の方が地球よりも太陽に近い、と推測することも可能である。この推測による惑星順序は最大離角から求めた惑星順序に一致するため、アリスタルコスが内惑星の順序を決定していただろうとの推定はかなり確からしいものであると考えている。

 内惑星の天球回転の周期(公転周期)と最大離角の値が分かれば、天球半径の値に依存せずに、東方最大離角から西方最大離角へ至る日数を、初等算術における時計算の要領で計算することができる。ざっくりとした計算だと水星の場合は約40日、金星の場合は約150日となる*15。会合周期と比較すれば直ちに、東方最大離角から西方最大離角へ至る日数の方が、西方最大離角から東方最大離角へ至る日数よりもずっと短いことがわかる。天文歴同時代の理論的ライバルである同心天球説では惑星の往復運動は対称的なので、東方最大離角から西方最大離角へ至る日数と、西方最大離角から東方最大離角へ至る日数が等しくなってしまう。太陽中心説の方が現実を反映していて同心天球説によりも優れていると言える。だが、周転円説でも同様の優位があるにもかかわらず、歴史的には周転円説の同心天球説に対する優位点として強調されては来なかったので、恐らくアリスタルコスは東西最大離角間の期間の問題については気が付いていなかったのだろうと思う。

 内惑星の逆行(恒星に対して西進する)現象については、内合付近で内惑星が地球を追い越すときに起こるという定性的な説明を与えることは簡単だが、幾何学的に逆行の条件を求めることはそれほど簡単なことではない。歴史的にはアリスタルコスより後のアポロニオスが周転円説における留*16が起こる条件について理論的に解明するまでは、逆行については幾何学的に問題を解くことはできていなかったはずである。アリスタルコスの太陽中心説が、惑星の逆行について何かを述べたりしていたと考えることは難しいと思う。

 

*1:アルキメデスによる言及中に「恒星と太陽は不動」とあるので、恒星や太陽の日周運動の説明のために地球の自転が考えられていたことは明白である。また資料的価値はやや劣るが、プルタルコスが『月面に見える顔について』において、アリスタルコスが現象を”救う”(説明する)ために「地球が黄道に沿って周回しつつ自身の軸回りに回転している間に、天は静止している、と仮定した」と述べているので、太陽中心説の内容に地球の自転が含まれていたことは間違いない。一方、地球の自転というアイデア自体は、かなり古くからあったようで、アリストテレスが『天体論』において地球の自転に対して反論を展開している。

*2:アリスタルコスの時代にこう呼ばれていたわけではないだろうが、議論の便宜のために「内惑星」という言葉を使う。

*3:アリストテレスの『天体論』にも彼が観察した火星食についての記載がある。

*4:天動説(地球中心説)では宇宙の中心である。

*5:エラトステネスが太陽を惑星よりも地球に近いとしたことについては、カルキディウスの『ティマイオス註解』に記述がある。哲学者の説であれば、プラトンの『ティマイオス』やアリストテレスの『天体論』は、太陽が惑星よりも地球に近いとしている。

*6:アリスタルコスの時代には周転円説はまだ提唱されてなかったので、当時の太陽中心説の理論的ライバルは同心天球説であった。

*7:ラクレイデスが本当に部分的太陽中心説を唱えたかどうかについては議論があるらしい。

*8:エウドクソスの後にカリポスが天文現象を良く説明できるように天球を追加する改良案を提唱しているので、このモデルには観測結果との比較がある程度可能なレベルの具体的なパラメータが与えられていたと考えるべきである。

*9:もしもアリスタルコスの著作中に最大離角の値が書かれていたとしたら、『太陽と月の大きさと距離について』での記述スタイルから見て、例えば「四分円(直角のこと)の2分の1よりも大きく、六分円よりも小さい」的な表現か、あるいは「黄道十二宮一つと2分の1よりも大きく二つよりも小さい」的な表現であったのではないかと思う。

*10:水星は0.39天文単位、金星は0.72天文単位

*11:六分円(60°)の1/2が30°、1/4が15°、四分円の1/2が45°、それに六分円の1/8を加えると52.5°

*12:√2の近似値として99/70を使って計算しても良い。

*13:内惑星は内合の後に地球から見て太陽よりも西側に移動して西方最大離角をとるようになることから、内惑星の天球は地球の天球と同じ回転方向であり、かつ回転周期が短いことがわかる。

*14:数値はシンプリキオスの『天体論註解』に記されたもの。現代から見るとエウドクソスの数値よりもバビロニア天文学の数値の方が良く、それぞれ水星116日、金星584日。

*15:実際の値については、国立天文台歴計算室の天象長期版を使って色々な年での値が計算できるので利用してみたが、水星は変動が大きいが43日程、金星は142日程。

*16:順行と逆行が交替するときに惑星が恒星に対して止まっているように見えること。