地獄のハイウェイ

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外野から見たブッダゴーサを巡る仏教学の論争

 仏教学者清水俊史の著作『上座部仏教における聖典論の研究』に対する出版妨害事件を含むアカハラ問題で一部の注目を集めた、パーリ仏教(スリランカ上座部大寺派)の大注釈家ブッダゴーサ(5世紀頃)*1の位置づけを巡る馬場紀寿と清水俊史の論争について、佐々木閑が評論を公表しているのに気が付いた。

 「ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争」というのがそれで、第1部の序言でアカハラ問題について触れ、論争の中身については第2部にまとめられている*2

自分は素人ながら仏教の歴史については興味を持ってきたので、この佐々木の評論を読む以前に、清水の「パーリ上座部における「小部」の成立と受容」とかそれを受けて馬場が書いた「小部の成立を再考する」も既に知っていたが、どちらの論文も素人には読み易いものではなく佐々木の評論の方がすっきり整理されていると思う。佐々木の評論のおかげで自分なりに考えを整理することができた。

 知っている人には説明不要だと思うが、パーリ三蔵の経蔵(スッタ・ピタカ)には漢訳仏典の四阿含(長、中、雑、増一)に対応する4部(ディーガ・ニカーヤ、マッジマ・ニカーヤ、サンユッタ・ニカーヤ、アングッタラ・ニカーヤ)以外に小部(クッダカ・ニカーヤ)という経典の集成がある。この小部はパーリ仏教独特の集成なのであるが、これには、ダンマパダ(法句経)やジャータカといった中国にも伝わって漢訳仏典になったものに加え、最古層の経典と考えられるアッタカヴァッガ(義品あるいは八偈品)やパーラーヤナ(彼岸道品)を含むスッタニパータが収録されているため、いわゆる原始仏教の愛好者には重要視されている。ところが漢訳仏典には小部に対応する経典の集成はない*3

 この小部がパーリ仏教の中で正典(the canon)たる地位をいつ頃に得たのかという問題に対して、馬場はブッダゴーサが仏典に対する注釈書を著す中で小部に収録される経典を定めたことで確固たる正典の地位を得ることになったとみなし、ブッダゴーサの正典確定作業により現在に至るパーリ仏教の性格が決定づけられたと主張している。そしてこのような正典確定化作業はブッダゴーサが独自の思想によって成し遂げたものなので、ブッダゴーサをスリランカ上座部大寺派の現在に繋がる思想的基盤を確立した実質的な創始者とみなすことができるとまで主張するのである*4

 このブッダゴーサをスリランカ上座部大寺派の思想的基盤を固めた思想家とする馬場説に対して、清水は資料解釈の面から疑義を呈し、ブッダゴーサによる小部の正典化も決定的なものではなかったとして、ブッダゴーサは独創的な思想家ではなく上座部大寺派の流れの中の注釈家であると批判している。

 さて清水の論文によると、1)小部を経蔵に組み入れるパーリ経蔵の5部編成はブッダゴーサ以前に終了していたが、2)小部は他の4部のニカーヤと比べて重要視されず収録される経典も一定でなかった。3)ブッダゴーサが小部の内容を15の経典としたことで上座部大寺派の定説となるが、ブッダゴーサは積極的・能動的に正典確定化を企図していたわけではない、ということである。清水の論文では2)の小部が他のニカーヤほど重要視されていなかった証拠として結集*5伝承や隠没*6伝承において小部が他の4ニカーヤよりも一段低いものとして扱われていることを実例を列挙して示す。そのために論文中で示される資料はいずれの資料もブッダゴーサが著した注釈書*7である。この部分はブッダゴーサが彼以前の注釈を参考に注釈書をまとめる中で、4ニカーヤに収録されないジャータカ等の経典群を意識して記載していること、それらの重要性が4ニカーヤより軽んじられ意識される経典群の範囲も一定しないことを上手く論証していると思う。馬場の説ではブッダゴーサ以前は経蔵が5部からなるとする見解があったにせよ、小部という経典集成は確立していなかったとしているので、清水の批判は検討に値する。実際、ブッダゴーサよりも少し先立つ時期にスリランカに滞在していた法顕(大寺派と対立するライバルの無畏山寺に滞在していた)がスリランカで五分律(化地部の律典)と長阿含、雑阿含、雑蔵(クシュドラカ・ピタカ?)を得た*8ということなので、当時スリランカに雑蔵という経典の集成はあったのであろう。法顕の雑蔵と大寺派の小部がどの程度の共通性があったかは不明だが*9、清水の論文を見るとジャータカとダンマパダには専門の誦者(経典を朗唱する僧)がいたらしいので、その二つは法顕が雑蔵と言及した集成にも入っていた可能性がある。法顕の雑蔵がパーリ小部に対応するしないに関わらず、小部または雑蔵というような集成がブッダゴーサ以前にあったのは間違いないだろうから、馬場の説はそのままでは成立せず主張を弱めない限り維持できないだろう。

 しかし清水自身も記述しているように、その論証からはその当時の小部が現在のパーリ三蔵のように経蔵の中に位置づけられていたのか、それとも経蔵以外の論蔵(あるいは律蔵)の中なのか、あるいは三蔵の外に第4の蔵(ピタカ)として位置づけられていたのかを判断できるものではない*10。それなのに小部が経蔵の第5ニカーヤ(「狭義の小部」)である話と律蔵と論蔵とその他の経典(つまり「狭義の小部」)をまとめた「広義の小部」の話を出してきて、ブッダゴーサ以前は狭義の小部として用例がほとんどだと主張する*11が、その用例はパーリ律、『ミリンダ王の問い』、『島史』(ディーパワンサ)といったものから採用されているが、これがブッダゴーサ以前から経蔵5ニカーヤ説が主流だった証拠になるのなら結集伝承や隠没伝承の話は不要になると思われるのだが、そうでないことからも分かるように証拠としての力はあまり強くない。どうも清水は馬場説の論証を逐条的に批判することに熱心なあまりバランスが取れていないように見える*12。一方で馬場の反論論文の方も、馬場は5ニカーヤ説の成立下限がブッダゴーサの時期にあたると論証しているのだから清水の批判は当たらないと*13清水の誤読を主張しているので説得力があるとは言い難い。

 そして清水はブッダゴーサと小部の構成についての関係について、小部を構成する経典の範囲についてブッダゴーサの文章として、ディーガ・ニカーヤの注釈書から引用し、

ここで説かれる五部という範疇と、それぞれの構成内容とが、その後の上座部において標準となった。この事実からも、ブッダゴーサが『長部註』の冒頭部に残した「仏語の分類」が、上座部聖典観に大きな影響を及ぼしたことは疑いない。

と述べて、結果的に小部に収録される範囲の確定に決定的な影響を与えたことを認めつつ、著作の他の箇所で小部の経典の範囲が必ずしも一定でないこと指摘する。そして清水はブッダゴーサが独自の思想をもって小部の範囲を定めようという積極的・能動的意図はなかったと考えられるとして馬場説を批判する。しかしながらブッダゴーサの注釈書の中の記述のゆらぎはそれぞれの箇所の執筆時期によるブッダゴーサ自身の思想的発展の可能性も否定できない*14ブッダゴーサが一群の注釈書を執筆する当初から「小部の構成内容を完全に定めていた」ことは否定できても、「小部の構成内容を定めようとする意図を持っていた」ことまでは否定することはできない。ブッダゴーサの注釈の各部分の執筆時期は専門家の間で色々と議論されているのだとは思うが、ここは慎重になるべきである。そして、清水がブッダゴーサの影響力を認めて

ブッダゴーサ著作において言及される小部の構成内容には、一貫性があるとは言い難い。しかしながら、ブッダゴーサが『長部註』冒頭部の「仏語の分類」において小部として十五書を認めたことは、その後の上座部にとって大きな指針となったことは明らかでである。

と評価しているように、「仏語*15の分類」は、単なる語義の注釈というよりも正典の範囲を確定しようとする上座部大寺派*16にとってのマニフェストとして受けとられたことは間違いないだろう。そしてブッダゴーサの「仏語の分類」により、小部の構成が確定し経蔵の第5部として位置づけられることで、それまで外典扱いされがちだった小部の正典化が確立したと評価すべきだろう。この点では馬場の学説は清水の批判によっては揺るがないものと思う。

 また伝承によればブッダゴーサは律や各ニカーヤの注釈書をまとめるにあたって、それまでにシンハラ語で書かれていた諸注釈などを整理・再構成してパーリ語の注釈書にまとめたとされる。『清浄道論』が大寺派の教理・修道論の綱要書であることも踏まえると、ブッダゴーサは単なる注釈家というよりも体系化を志向した編纂者として色彩が濃厚であるように見える。

 清水ー馬場論争から少し引いたところから、ブッダゴーサのパーリ仏教史における地位を考察すると、『清浄道論』と注釈書*17パーリ語で著述することで仏教公用語としてのパーリ語の地位を確立した人物と評価できるだろう。すなわち「真の仏説は聖言語であるパーリ語で書かれたものだけである」という上座部大寺派の基盤をなすテーゼの下に、パーリ語公用語化を実現させた活動家とみるべきではないだろうか。そう考えるとパーリ語を仏教公用語として確立するという意図を持って、ブッダゴーサ以前にはシンハラ語で書かれていたりしたニカーヤの注釈書を整理統合しパーリ語化しようとを試みたと考えることができる。またパーリ語の仏教公用語化にとって、パーリ語で流通していたであろう韻文経典を含む小部の経典群を正典として経蔵に組み込むのは必要な手続きであったと言えるのではないだろうか。このブッダゴーサをパーリ語の仏教公用語化の活動家であるとする仮説は、大寺派のライバルである無畏山寺派の言語使用状況を検討してみることで検証できるかもしれない。『清浄道論』の種本との見方もある無畏山寺派の『解脱道論』や法顕が無畏山寺で得た五分律には幸いにも漢訳がある。これらの漢訳の音写された語彙を検討すれば元の言語がパーリ語であったかシンハラ語サンスクリットであったかが推測できるだろう*18。もし無畏山寺派の方では仏教公用語としてのパーリ語の地位が確立していなかったのであれば、ブッダゴーサは上座部大寺派の「パーリ語が聖言語である」という言語思想を持って注釈書を纏め上げ、無畏山寺派に対抗する手段としてのパーリ語の仏教公用語化を実質的に達成した人物と評価できるのではないか。そうであるなら、ブッダゴーサは馬場の言うような唱道宗教の創始者的な宗教思想家でもなく、清水の言うような偉大だが単なる注釈家でもないということになる。

 アカハラ問題は看過すべからざる大問題であると思うが、論争の中身そのものを検討する上では引き摺られ過ぎないようにすべきだろう(佐々木の評論もそういう立ち位置かと思う)。外野から見ると、ブッダゴーサは上座部大寺派を特殊な部派として成り立たせることに意図をもって重要な寄与をしたキーパーソンであり、その評価は馬場と清水の両者の中間ぐらいに位置付けるべきであるように思う。

*1:ブッダゴーサは南インド出身でマハーナーマ王(在位410~433)の時代にスリランカに渡ったとする伝承があるので、漢字文化圏を代表する訳経僧である鳩摩羅什(344~413年)や5世紀初頭にスリランカを訪れた法顕(337~422年、スリランカ滞在は409~411年)らの次の世代にあたるようだ。

*2:佐々木の評論は続きがあるようだが公刊されているのかどうかはよく分からない。

*3:正確に言うと対応する集成が漢訳されていないものの、他の部派に類似の集成が全くなかったわけではなく、部派によっては雑蔵(クシュドラカ・アーガマあるいはクシュドラカ・ピタカ)と呼ばれる経典の集成があったようだ。これについては馬場や清水も論文中で言及しており研究者の間ではよく知られているようで、少し古めの仏教史の教科書である平川彰『インド仏教史』(1974)にも記述がある(上巻p.175)し、英語版のWikipediaにも項目が立てられている。

*4:馬場の主張はブッダゴーサの著作『清浄道論』(ヴィスッディ・マッガ)に関する論点がもう一つの柱になっているが、佐々木に倣ってそれについては省略する

*5:正しい教えを保つために僧が集まって合議制で経典や律を暗唱するなどして確認や確定を行う集会、粗っぽく言えばキリスト教公会議に類したもの

*6:正しい教えが段々と失われていくプロセス

*7:清水の論文中でDNAと略称されるディーガ・ニカーヤの注釈書(Sumangalavilasini、結集伝承と隠没伝承(β))、SNAと略称されるサンユッタ・ニカーヤの注釈書(Saratthappakasini、隠没伝承(α))、ANAと略称されるアングッタラ・ニカーヤの注釈書(Manorathapurani、隠没伝承(γ)。

*8:法顕の仏国記のスリランカ滞在の部分はネットで訳文を見ることができる。

*9:馬場はこの点に関心を持っているようだ。2017 年度 実施状況報告書 (KAKENHI-PROJECT-16K02166)

*10:結集伝承や隠没伝承で他の経典よりも扱いが相当に軽いことを考えると三蔵外の外典扱いではなかったかとも思われる。また清水も馬場も小部の韻文経典(偈頌経典)は教団内で主要聖典として扱われる散文経典とは別系統の在俗信者向けの補助的文献的位置付けであったとする立場である。

*11:清水論文の第二章第二節第二項

*12:説一切有部において雑蔵(クシュドラカ・ピタカ)/小阿含(クシュドラカ・アーガマ)に関する扱いが一定しないことから、説一切有部聖典の範囲にゆらぎがあったことを清水は認めているので、少なくともブッダゴーサ以前に経蔵5ニカーヤ説があったことを示すだけでは、それが上座部大寺派の主流を占めるまで至っていたことを論証することにはならない。

*13:馬場はかなり感情的になっているように見える。

*14:ブッダゴーサが参照した複数の古注釈間の不統一を整理しきれなかったことを反映している可能性もある。

*15:仏陀の正統な教説のこと

*16:ライバルである無畏山寺派が受け入れていた大乗仏典(使用言語はサンスクリットガンダーラ語と思われる)を正典の資格がないとして排除するのに都合良かった。

*17:清水の論文中にもあるようにと4ニカーヤの注釈書はブッダゴーサの真作と見て間違いないようである。伝統的にブッダゴーサの真作とされてきた律の注釈書サマンタパーサーディカー(Samantapasadika)は真作性に疑問の声もあるようだ。

*18:初期大乗仏典の漢訳の一部(例えば正法華経や道行般若経)は音写された語彙からガンダーラ語の原本の存在が推定されている。