最近出版された馬場紀寿『初期仏教』(岩波新書)を読んだ。
最新の研究成果を反映したという触れ込みで、
それはそうなんだろうけれど今までの入門書、
例えば同じ岩波新書なら三枝充悳『仏教入門』とかと比べて
どのように新しいのかが素人には分かりにくい。
初期仏教経典についてパーリ仏典と四阿含および律から
共通部分を抽出するというような方法論だと
パーリ仏典の存在が一般にも広く知られるようになりだした頃の
阿含経典の理解と共通性の高いパーリ仏典の要素を基にした
想定された原始仏教の概説と結果的にあまり変わらないように思われる。
部派分裂後も保たれていた仏教の共通要素を正典に求めるというのは
方法論的には斬新なのかもしれないけれど
結果的に抽出された要素は十二支縁起だとか四聖諦とかで従来とあまり変わらなくて
最新の知見というのは正典編纂史に関することに限られるような気がする。
その正典編纂史も正直言うと個人的には微妙な印象。
パーリ仏典の相応部や増支部と漢訳の雑阿含や増一阿含では
対応関係があまり良くないのはそれなりに良く知られていて、
そのことは原「結集仏典」の推定には重要なはずだが
共通部分にのみ注目させるためか完全にスキップされている。
啓蒙書なので仕方のない省略なのかもしれないが
四福音書から成立史や原資料を復元を試みているキリスト教研究よりも
すごく遅れているのではないかという感想になる。
そして83ページの現存する結集仏典の表に増一阿含が落ちているのは
触れたらいけない不都合な部分でもあるのではないかと疑念を感じる。
もし増一阿含の部派の系統が不明ならそのように書くべきだろう。
自分に取って一番不満だったのは第6章の「再生なき生を生きる」で、
直前の5章の「生存」についての説明から飛躍して
動植物の農耕牧畜における繁殖のような話になっていること。
一方でバラモン教のイニシエーションによる「再生」が混ざってきたりで
浅学菲才の身には何が何だかわからない感じだった。