pollyannaさんの「理系兼業主婦日記」の
「「勉強ができる」という蔑称」というエントリー
http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1
が話題を呼んでいるようだ。
自分が子供の頃に見たTV人形劇「ひょっこりひょうたん島」では、
ハカセというキャラクターが主人公格だったし
特撮モノの「超人バロム1」では
主人公に合体変身する2人組の子供の片方は秀才という設定だった。
それ以外の子供番組でも
例えばサンダーバードのブレインズのような
頭デッカチのキャラクターが
主人公を助ける脇役で配されているものも多かった。
だから秀才とかが蔑視されていたようには思わなかった。
身の回りでも勉強ができる物知り博士(歴史博士とかその類)は
かなり人気もあったし蔑視されていたようにも思わなかった。
一方でスポーツだろうと芸術方面だろうと、
いかに才能があっても陰口を言われ
その得意分野で失敗すればそれ見たことかと叩かれるのは珍しくない。
クラスの中のちょっと孤立した子供が図画工作系で賞を取ったりすると
それにいやみを言ったりする連中がでてくるのも良くある風景だろう。
売れているミュージシャンに「芸術性がない」とか「ニセモノ」だとか
「今は売れていても時代と共に忘れられていくものだ」とかの
悪口が投げかけられるのもよく目にする光景である。
勉強ができる子への蔑視の根底には嫉妬があるではないだろうか。
「あいつばっかり注目集めやがって」という嫉妬は、
良い悪いは別にして極めて普通の感情だろう。
勉強に限らなくてもスポーツでも芸術的活動でも
嫉妬の話であれば古典的な少女マンガ等にも色々と描かれている。
そうはいうものの蔑視には単純に嫉妬だけでなく、
相手を見下げることで排除しようとする心理もあるように思えてならない。
少なくとも蔑視した相手と友情を育もうなどと思う酔狂な人物は
極めてまれではないだろうか。
逆に言えば自分の仲間が優秀だからといって
それをことさら蔑視するような人は少ないだろう。
他人の嫉妬自体は防ぐことの出来ないことだろうが、
何か仲間としての連帯感のようなものがあれば、
ひどい蔑視を受けることはないだろうし
「お前は俺と違って優秀だからな」といった
羨望の言葉を聞かされたからといって
少々寂しく思うことはあっても
蔑視されていると思い悩むようなことはないように思うがどうだろう。
そういう観点から言えば、
日本の科学技術の発展を妨げているものは、
「勉強ができることを蔑みの対象とするような精神風土」というよりも
勉強ができる人間とそうでない人間の間の連帯感の欠如ではないかと思う。