地獄のハイウェイ

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S.シェイピン『科学革命とは何だったのか』

 S.シェイピン『科学革命とは何だったのか』を読んだ。これまでも17世紀科学革命に関する書物はいくつか読んできて、占星術錬金術との関わり合いとかそういうのを強調した書物も読んだりしてそれなりに知識があったので、内容的な新鮮味はあまり感じられなかった*1。むしろこの書物が歴史区分としての17世紀科学革命に批判的であるということを予め知っていたので、かなり変則的な読み方をしてしまったかもしれない。

 歴史を進歩に貢献した側と抵抗する側との戦いとみなして進歩側の勝利の物語として描くような歴史観を批判する「ホイッグ史観」という言葉自体が、近代世界と近代精神の真の生みの親としての大文字の「科学革命」概念の提唱者である歴史家H.バターフィールド*2によって歴史学界に定着したことからも容易に推測できることだが、これまでの学問的な科学史自体は、現代科学の基準で過去の研究を後知恵的に評価することにかなり慎重だった。それなのに、社会構成主義者のシェイピンが、それらすら「神話にとらわれている」として批判しているらしいので興味を持ったのだが、残念ながらシェイピンの意見には賛成できなかった。

 まず、天文学コペルニクスに始まり、ニュートンによる『プリンピキア』で頂点を迎える物理学や天文学を中心にした知の地殻変動の本筋ではなく、機械論哲学とか実験主義的方法論に関するボイル-ホッブズ論争といったところに焦点を当ててしまっているため「科学革命」とは何かというところで、これまでの科学革命論者とずれが生じている。例えばニュートンに関しては錬金術との関わりでかなりの歴史研究が蓄積されているのであるが、それについてはほとんど言及がない*3。むしろ初期の王立協会(ロイヤルソサエティ)の実験主義に焦点を当てているのにも関わらず、後にニュートンが協会を事実上支配することになることが見えてこない。また当時のホッブズによるボイル批判はシェイピンの専門なので詳しく書きたいのはわかるが、その当時の言説空間の中でホッブズの異論がどの程度に重要視されていたかについては触れていないので、まるで「ピューリタン革命の最中でも王党派や立憲君主主義者がいた」式の、敗者に寄り添っているだけの判官びいきになってしまっている。王立協会におけるボイルの後継者にあたるフックやニュートンが、ホッブズの批判を無視できないものと見なしていたとかそういうことの提示がないと、知識がいかにあるべきかという覇権争いの中で異論があったことを示すに止まっている*4。物理学周辺の知的な変動の結果としてロイヤルソサエティの権威が高まっていって、自然に関する知識に関する覇権を旧来の権威から奪いっとっていった「革命」と呼んでさしつかえないような歴史事象があったことを否定することはできないし*5、「革命」と呼ぶにふさわしくない理由を提示することにも成功していない。

 啓蒙的な書物では科学革命を単純な革命劇として捉えすぎているとするというのはその通りだと思う。だからと言って天文学や物理学周辺で「科学革命」が起きて、それ以降の知的世界のあり方が変わったという歴史的事実は否定しようがないと思う。単純化した「科学革命」神話が流通しているとしても、神話の基になった歴史事象がなかったことにはならない。歴史事象の勝者と敗者について中立的に勝敗を記述することは学問的態度として重要だろうが、それは両者を等価に扱うということにはならないだろう。

*1:原著が1996年、邦訳が1998年なので、出版直後に読んでいればもう少し印象が違ったかもしれない。

*2:『ウィッグ史観批判』”The Whig Interpretation of History,” (1931)と『近代科学の誕生』”The Origins of Modern Science”(1949)の邦訳がある。

*3:ニュートンが機械論哲学に与していないことには言及がある。

*4:相対性理論の成立期に哲学者の異論があっても科学史の上では脚注で済ませられるのと事態は類比的。

*5:シェイピンも科学的信念や活動に変化が起きたことは認めている。