地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

円城塔「道化師の蝶」

芥川賞受賞作である「道化師の蝶」を読んだ。
円城作品は「Self-Reference ENGINE」、「Boy's Surface」に続いて3つ目。
Self-Reference ENGINE」等がナンセンスSF風味だったのが、
この「道化師の蝶」はミステリー風味のファンタジーに仕上げた感じ。
語呂合わせの親父ギャグにも見えなくもない言語遊戯や衒学趣味は大幅に減って
むしろ普通の文章に近づいて読みやすくなったように思う。
著者は芥川賞受賞後のインタビューで安部公房に言及しているが、
確かに読後観は安部公房の初期作品「S・カルマ氏の犯罪」に通じるものがある。
それであえて寓意を読み取ろうとするなら、
「蝶」は文化進化論でいうところのミームと読めなこともないが、
それは深読みのし過ぎかもしれない。
むしろ「荘子」の胡蝶の夢を踏まえたものではないかという気がする。
小説中の語り手が節ごとに変わって複数視点から書かれているようになっている上に、
ミステリで言えば最後の方で語り手が犯人だった式のオチのような
ある種のだましの構造を狙っているかのようにも読めるが、
併録された「松ノ枝の記」を読むとそうではなくて、
語られた物語の語られた主人公の世界と語り手の世界(いわばメタなテキスト)が
相互に浸透し合って自分で自分を飲み込むウロボロスの蛇というか
言語の階層(対象言語/メタ言語)を表と裏に喩えた
意味論的メビウスの帯を狙っているのではないかと思われてくる。
自分としては「松ノ枝の記」の方が好みに合う。
ところで「松ノ枝の記」に出てくるザゼツキーの症例というのは
A.ルリヤが報告した記憶喪失患者の報告のことで、
「失われた世界―脳損傷者の手記」という翻訳も出ているらしい。
これは「記憶」と「人格」の関係について
見通しをつけるためのヒントになるのかもしれないと思った。
またロアノーク植民地集団失踪事件も出てくるが
こちらは失われた記憶に絡めているのだろうけれど
単なるギミックなのか本質的な要素なのかちょっと判らない。