地獄のハイウェイ

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アルキメデスが地動説支持者だったかもしれない件

 古代ギリシアにおいてサモスのアリスタルコス(紀元前310頃~230頃)が太陽を宇宙の中心とする地動説を唱えたことは良く知られている。アリスタルコス自身の著作は『太陽と月の大きさと距離について』*1が伝わるのみで、我々はアリスタルコスの地動説の詳細を直接的に知ることができないが、彼が地動説を唱えたことは古代最大の数学者の一人であるアルキメデス(紀元前287頃~212)が小品『砂粒を数えるもの』*2の中で紹介している。アリスタルコスの地動説は人気があったと思えないものの、古代ギリシアではある程度は知られていたかとも思われるが*3アルキメデスによる紹介がなければ、もっと断片的で間接的な伝聞情報しか後世に伝わらなかったかも知れない。そう考えると、我々にとってアルキメデスアリスタルコスの地動説に関する貴重な情報を伝えてくれた恩人と言えるだろう。

 さて、アルキメデスの『砂粒を数えるもの』は、宇宙(恒星天球)全体を埋め尽くすのに必要な砂粒の数を表示できることを主張することに主たる目的がある作品である。このため宇宙論については恒星天球の大きさを見積るために説明している程度であるが、『砂粒を数えるもの』の最初の方で、「ご存じのように、大多数の天文学者たちの宇宙と申しますのは、その中心が地球の中心であり、その半径が太陽の中心と地球の中心とのあいだの直線に等しいような、球のことでございます。これは、あなたが天文学者たちからお聞きおよびの宇宙の輪郭でございます。ところがサモスの人アリスタルコスは、いくつかの仮説からなる書物を著わしまして、宇宙はいま申しましたものよりも幾層倍も大きいという結論を、それらの仮定から導きだしたのでございます。」(三田訳、以下同様)とアリスタルコスの地動説の紹介を始めるのである。『砂粒を数えるもの』はシラクサのゲロン王(ゲロン2世)宛のものなので、トンデモの類のいい加減な憶測として、アリスタルコスの地動説を紹介したものとは考えられない。むしろ真面目に取り上げて紹介する価値があるものとして、アリスタルコスの地動説を紹介したものと考えられる。ここで疑問になるのは、アルキメデスは地動説をゲロン王に紹介する価値があるものと見なしていた理由である。

 実際のところ『砂粒を数えるもの』において、太陽-地球間距離を見積もる過程では地動説には全く依存していない。太陽と地球で構成される天球(天動説であるなら太陽の運動を支える太陽天球(Celestial sphere of Sun)、地動説であれば地球の運動を支える地球天球(Celestial sphere of Earth)となる)と恒星天球の直径の比を推定するのにアリスタルコスの説を採用しているが、それ以外にはわざわざ地動説を紹介するメリットが見当たらないのである。『砂粒を数えるもの』が論述されたであろう目的にとっては、天動説における太陽天球でも十分かも知れないし、あるいは恒星天球と太陽天球の直径の比が、太陽天球と地球の直径の比に等しいという仮定だけを用いれば良かったはずである。地球が宇宙の中心と考えることが主流であったであろう当時の常識では怪しげにも思われかねないアリスタルコスの地動説を、その著作の冒頭近くで敢えて紹介するのは、アルキメデスにとって地動説が魅力のあるものであった可能性がある。そのアルキメデスにとっての魅力が何であったか考えているうちに、その理由について一つの仮説を思いついた。それは太陽と地球の2体システムを考えたときの重心の問題である。

 アルキメデスの時代の天文学的知識の状況というのはよくわからないが、『砂粒を数えるもの』の中で、太陽と月の直径の比について、エウドクソス(紀元前4世紀)がほぼ9倍、アルキメデスの父プェイディアス(Pheidias)がほぼ12倍と主張したと述べたのに続けてアリスタルコスは、太陽の直径が太陰の直径の18倍よりは大きく、20倍よりは小さい、と証明しようといたしました。」と記述している。このアリスタルコスの値は、『太陽と月の大きさと距離について』の命題9のものと一致するので、アルキメデスも『太陽と月の大きさと距離について』については知っていたことは恐らく間違いない。その一方でアリスタルコスは、太陽が獣帯圏のほぼ1/720に見えることを発見しましたので」とあり、現存する『太陽と月の大きさと距離について』が太陽や月の視直径が2°としているのと違う数値(0.5°)を掲げ、更にアルキメデス自身の実測値(直角の1/200より大きく1/164よりも小さい、すなわち0.45°~0.55°の間)について実測方法と共に記述しているので、『太陽と月の大きさと距離について』の数値をあまり信用していなかったのかもしれない。アルキメデスは結局のところ、太陽の直径は地球の直径の30倍よりも小さく、太陽(地球)天球の直径は地球直径の1万倍よりも小さいと概算し、それぞれ30倍と1万倍という粗い数値で議論を進めている。この数値それ自体は精密なものとは言い難いが、重心の問題を考察すると興味深いことに気が付く。

 太陽の直径を地球の直径の30倍とすると太陽の体積は地球の体積の30の3乗倍、すなわち2万7千倍になるため、単純に両者の密度が変わらないと仮定すると、太陽の重量は地球の2万7千倍となる。太陽と地球の中心間距離が地球半径の1万倍という条件下で、太陽と地球の2体システムの重心を求めるとすると、その位置は太陽の中心から地球半径の0.37倍(=10,000/(27,000+1))になる。これは太陽半径の0.012倍強(1.2%強)となり、太陽-地球システムの重心は太陽の中にあることになる。もし太陽と地球の中心間の距離を5mとした模型を製作するとなると、地球の直径は1mm、太陽の直径は30mmとなり、重心位置は模型太陽の中心から地球側にわずか0.2mm弱ずれた位置になる。金属棒を切り出したことがある人なら容易に分かると思うが、この精度を出すことは物凄く難しい。アルミで5mの棒を切り出すとするとした場合、アルミの線膨張係数が室温付近で23.1×10-6/Kなので、2℃の温度変化によるアルミ棒の伸縮量の方が大きいということになり、とてもこの精度での製作は実現できそうにない。太陽-地球模型を作ってバランスをとってその重心位置で支えて回転させるとするなら、見た目にはあたかも太陽を中心に地球が回転しているように見えるだろう。もちろんアルキメデスの時代に地球の重さや、まして太陽の重さについては知られていた訳ではない*4。だが数学者として天秤の釣り合いを用いた考察の達人であり、また卓抜した技術者で精巧な天文模型*5の製作者としても知られているアルキメデスにとっては、太陽中心の地動説はリアリティを感じられるものであったのではないだろうか。

 このように、アルキメデスによって地動説がリアリティのあるものであったとすれば、積極的にアリスタルコスの地動説への賛成を表明することはなかったとしても、重要性を持った学説として評価していた可能性が高いのではないだろうか。

<2023年3月18日追記>

 アルキメデスの有名な言葉として「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。」というのが後世に伝わっているので、機械的(メカニカル)に動かすことができる対象として地球を考えていたのはほぼ間違いないだろう。そうだとすれば、大地(地球)を不動のものとみなす天動説よりも、地球を動くものと考える地動説の方に同時代の他の人以上に親近感があってもおかしくはないと思う。

*1:『太陽と月の大きさと距離について』種山恭子訳((田村松平編『世界の名著9:ギリシアの科学』(中央公論社、1972年)所収)

*2:『砂粒を算えるもの』三田博雄訳((田村松平編『世界の名著9:ギリシアの科学』所収)

*3:プルタルコス(46頃~119年以降)が『モラリア』の中で、アリスタルコスが地動説を唱えたことに言及している。

*4:アルキメデスの同時代人で交流もあったエラトステネス(紀元前276~195)が、地球の周長を250,000スタディアとかなりの精度で求めているが、アルキメデスはこの値を知らなかったようで、30万スタディアという従来から良く知られている推測値に替えて300万スタディアとして計算している。

*5:アルキメデス機械仕掛けの立体的なプラネタリウムのような天文模型を製作していたらしいことはキケロ(紀元前106~43)による紹介がある(『国家について』岡道男訳『キケロー選集』第8巻、岩波書店)。