地獄のハイウェイ

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エウドクソスの太陽と月

 古代ギリシア天文学の歴史において、空想的なレベルを脱した天体の運行のモデルが提案されたのは、エウドクソス(390 BC頃~337 BC頃、408 BC頃~355 BC頃説もある)による同心天球説球を嚆矢とする。このエウドクソスの同心天球説では、宇宙の中心に地球を置き、その地球と中心を同じくし一様な回転運動をする天球の運動の組み合わせにより天体の運行を説明する。恒星の(見掛けの)日周運動を1日に1回転する*1恒星天球によって説明し、5惑星については日周運動に1個と黄道を周回する公転周期の運動のために1個と逆行運動を説明するための軸の異なる2個の天球の組み合わせという1惑星につき4個の天球で説明する、というモデルである。幾何学的モデルによって惑星の逆行を説明することができる点で画期的なものだった。エウドクソスの同時代に一世を風靡したかどうかは分からないが、ほぼ同時代のアリストテレス(384 BC~322 BC)などに強い影響を与えたようで、アリストテレスは『形而上学』12巻8章でエウドクソスの同心天球説の概略について説明している*2。それによると5惑星に各4個、恒星天に1個、太陽と月に各3個の合計27個の天球からなるモデルで、太陽と月に関しては「それぞれ3個の天球」が当てられているものとされている。

 しかし、太陽や月の運行を説明するのに各3個の天球というのは、一体どういう動きを説明しようとしていたのだろうか。5惑星に各4個(日周運動と黄道を周回する公転と逆行用のペアをなす2個)の天球があるのは分かるが、太陽の3番目の天球は何の運動をしているのか分からない。どのくらい精密な観測データがエウドクソスの時代にあったよく分からないが、現代の知識から考えると単純なモデルとしては、恒星天球(=地球の自転)と太陽の黄道を巡る年周運動の天球(=地球の太陽周りの公転)と月の白道を巡る月周運動の天球(=月の地球周りの公転)の3つでも概ね問題ないはずである。エウドクソスのモデルは日周運動と天体の動きの組み合わせなので、その述べ方に合わせると太陽に2個(日周運動と公転)、月に2個(日周運動と公転)ということになる。

 エウドクソスの同心天球説の説明をネットで色々さがしてみたが、惑星の逆行のところを詳しく説明してくれているものはあっても、太陽と月の話については軽く触れられているだけで、太陽と月のそれぞれの3個の天球がどんなものかは判然としない。アリストテレスによると、カリポス(カリッポスとも、370 BC頃~300 BC頃)は観察された事実を説明するために、太陽に2つ、月に2つ、火星と金星と水星にそれぞれ1つ、エウドクソスのモデルに更に天球を追加するべきだと考えたらしい。カリポスはエウドクソスの弟子筋(孫弟子?)の天文学者太陰太陽暦におけるカリポス周期に名を残すが、春分から夏至まで、夏至から秋分まで、秋分から冬至まで、冬至から春分までのそれぞれの日数が94 日、92日、89日、90日であることを観測したということなので、太陽天球の回転速度の不均一性(一様運動に対する変則性、第一変則性)*3を説明するために太陽に天球を追加したものと考えるのが通説のようである。通説の通りカリポスが太陽の第一変則性の説明に天球を追加したのであれば、エウドクソスの太陽モデルでは年周運動は一様であることになる。ということはエウドクソスの太陽モデルにおいて第一変則性の説明に寄与するような機能のために第3の天球があった可能性はあり得ないだろう。

 いくつかの解説(例えば英語版のWikipedia)では、月の第2の天球(黄道回りの天球)が黄道回りを1カ月で回転し、第3の天球の運動によって黄道からのずれが生じると説明しているが、第2の天球と第3の天球の運動は合成されるものであるから、第3の天球の回転軸を白道の回転軸に合わせた場合の天球の回転速度の設定が難しくなる。というのは、このやり方だと月の黄道回りの回転と白道周りの回転を合成した運動の周期が1カ月になるように調整する必要があるからである。例えば、第2の天球の黄道回りの月周運動に第3の天球の白道周りの1カ月周期の順行(黄道の回転と同方向)運動を合成すると、月の恒星天球に対しての回転速度が2倍になって周期が半分になってしまう。月の第3の天球の回転軸を白道天球の回転軸と合わせないで、黄道天球の回転軸と直交させて黄道に対する経度方向(黄経)の運動成分を無くさせて緯度方向(黄緯)だけ月周運動させるようすることも想定可能であるが、その場合には第3の天球上で月を置く場所を回転軸に直交する面で切断して得られる断面の円の半径を黄道天球の半径よりもずっと小さくする必要があり(黄道天球と同じ半径の第3の天球の赤道に月を置くと黄道から離れすぎる)、単純に白道天球で月の運動を考えるよりも位置計算がかなり複雑になる。だから月の第2の天球(黄道天球)を月周運動させるようなモデルをエウドクソスが採用していたとは考えにくい。それよりはむしろ月に関しては黄道を周回する天球によって、日食に関係し古代バビロニア天文学で古くから知られていたサロス周期(約18年)が反映されている可能性の方がまだありそうである。しかしエウドクソスの同心天球モデルで、そのような日食の周期性が反映されていたかどうかは判然としない。エウドクソスは、惑星が黄道を周回する周期として、水星と金星に1年、火星に2年(公転周期1.88年)、木星に12年(公転周期11.86年)、土星に30年(公転周期29.46年)と整数年を当てていたようだ*4。惑星の黄道周回の公転周期を整数でないよう(例えば火星なら47/25とか)にしても良いはずだが、太陽と月だけ精度を高くしてサロス周期について考慮していたとも考えにくい。

 念の為、アリストテレスの『形而上学』の該当箇所の現代語訳を見てみる。

(英文は The Internet Classics Archive | Metaphysics by Aristotle から)

    Eudoxus supposed that the motion of the sun or of the moon involves, in either case, three spheres, of which the first is the sphere of the fixed stars, and the second moves in the circle which runs along the middle of the zodiac, and the third in the circle which is inclined across the breadth of the zodiac; but the circle in which the moon moves is inclined at a greater angle than that in which the sun moves. And the motion of the planets involves, in each case, four spheres, and of these also the first and second are the same as the first two mentioned above (for the sphere of the fixed stars is that which moves all the other spheres, and that which is placed beneath this and has its movement in the circle which bisects the zodiac is common to all), but the poles of the third sphere of each planet are in the circle which bisects the zodiac, and the motion of the fourth sphere is in the circle which is inclined at an angle to the equator of the third sphere; and the poles of the third sphere are different for each of the other planets, but those of Venus and Mercury are the same.

 エウドクソスは、太陽や月の運動は、いずれの場合も3つの天球が関与すると考えた。その第1のものは恒星の天球であり、第2のものは黄道帯の中央に沿って走る円を動き、第3のものは黄道帯の幅を横切って傾斜しているが、月が動く円は、太陽が動く円よりも大きな角度で傾斜している。惑星の運動には、それぞれ4つの天球が関与しており、このうち第1と第2は、前述の最初の2つと同じである(恒星の天球は、他のすべての天球を動かすものだからであり、この下に置かれ黄道帯を二分割する円の中で運動するものはすべてに共通である) 、しかし、各惑星の第3三の天球の極は黄道帯を二分割する円の中にあり、第4の天球の運動は第3の天球の赤道に対して斜めに傾いている円の中にある;また、第3の天球の極は他の惑星ではそれぞれ異なるが、金星と水星のそれは同じである。

    Callippus made the position of the spheres the same as Eudoxus did, but while he assigned the same number as Eudoxus did to Jupiter and to Saturn, he thought two more spheres should be added to the sun and two to the moon, if one is to explain the observed facts; and one more to each of the other planets.

 カリポスは天球の位置をエウドクソスがしたのと同じにしたが、エウドクソスと同じ数を木星土星に割り当てながらも、観察された事実を説明するならば、太陽に2つ、月に2つ、その他の惑星にはそれぞれ1つ、さらに天球を追加するべきだと考えた。

    But it is necessary, if all the spheres combined are to explain the observed facts, that for each of the planets there should be other spheres (one fewer than those hitherto assigned) which counteract those already mentioned and bring back to the same position the outermost sphere of the star which in each case is situated below the star in question; for only thus can all the forces at work produce the observed motion of the planets. Since, then, the spheres involved in the movement of the planets themselves are--eight for Saturn and Jupiter and twenty-five for the others, and of these only those involved in the movement of the lowest-situated planet need not be counteracted the spheres which counteract those of the outermost two planets will be six in number, and the spheres which counteract those of the next four planets will be sixteen; therefore the number of all the spheres--both those which move the planets and those which counteract these--will be fifty-five. And if one were not to add to the moon and to the sun the movements we mentioned, the whole set of spheres will be forty-seven in number.

 しかし、もしすべての天球を組み合わせて観測された事実を説明しようとするならば、それぞれの惑星に対して、すでに述べた動きを打ち消し、それぞれ星の下に位置する星の一番外側の天球を元の位置に戻すための(これまで割り当てられたものより1つ少ない)他の天球が必要であり、このようにすることによってのみ、働くすべての力が惑星の観測される動きを作り出すことができる。従って惑星それ自身の運動に関わる天球は、土星木星が8個、その他の惑星が25個で、このうち最も下側の位置にある惑星の運動に関わる天球だけは動きを打ち消す必要がないので、最も外側にある2つの惑星の運動を打ち消す天球が6個、次の4つの惑星の運動を打ち消す天球が16個となり、従ってすべての天球(惑星を動かす天球と打ち消す天球の両方)の数は55個になる。そして、もし月と太陽に先に述べた動きを加えなかったとしたら、天球の全数は47個になる。

 確かに、天球数の合計を見ても、アリストテレスは太陽と月にそれぞれ3個の天球を割り当てていたのは確かなようだ。少なくともアリストテレスの記述では、太陽と月に関しては「それぞれ3個の天球」となっているのは間違いないようである。とは言え、アリストテレスによる同心天球説についての記述が正確であることまで保証されている訳ではない。なぜなら、アリストテレスの記述には変なところがあるからである。地球に一番近い月(最も下側にある惑星)にはその天球運動の打ち消し用の反転天球がないのだから、カリポスが月と太陽にそれぞれ追加した天球2個ずつを加えないとしたら、天球の全数は55個からカリポスが月と太陽に追加した4個と太陽運動の打消し用の反転天球2個の合計6個を引くので49個になるはずである。ところが「47個になる」と書いているのだから、アリストテレスは何か勘違いしており、その記述の正確さについては過度に信頼しない方が良いことがわかる。

 色々と考えてみると、エウドクソスの太陽と月の天球のモデルについてありそうな可能性は、次の3通りになるのではないだろうか。

  1. 太陽に日周用1個と年周用1個と更に1個、月に日周用1個と黄道周回用1個、白道周回用1個の各3個ずつ。
  2. 太陽に日周用1個と黄道年周用1個、月に日周用1個と白道月周用1個の各2個ずつ
  3. 太陽に日周用1個と黄道年周用1個の2個、月に日周用1個と黄道周回(例えば18年のサロス周期)1個と白道月周用1個の3個。

ここで、1. がアリストテレスの記述に対応する(伝統的な解釈)が、太陽の第3の天球の働きが分からない。また月の第2と第3の天球の関係も判然としない。さらに言えば、アリストテレスの記述では太陽の3個目の天球の赤道が黄道帯の幅を横切って傾斜していることになっていて、太陽が黄道からずれて運動するという天体運行モデルとしてあり得ないものになってしまう。太陽と月の運動を考えるのなら単純というか素朴な2. か、より精密に洗練された3. の解釈が適切ではないかと思われる。しかし、2. の解釈だとアリストテレスの記述とは整合性が取れない。また3. の解釈の場合は、太陽と月に異なる数の天球(太陽2個、月3個)を割り当てるので、太陽と月を一つのグループとして扱うにはちょっと相応しくないように思われる。2. や3. の場合は、アリストテレスが勘違いか何かで同心天球説を間違って記述していたことになるが、そのようなことがあり得るのか少し考えてみた。

 『形而上学』の英文を見ていて気が付いたのだが、引用した文章の最初パラグラフの先頭付近にある”in either case”を削除すると、個数(3個)ではなく種類(3種)の意味にとれないこともない。もし我々が理解できるように文意が通るよう改変するなら、月の軌道の傾きが太陽の軌道よりも大きく傾いていることを記述している個所の”that”を”the second”と置き換えると良いのではないだろうか。

    Eudoxus supposed that the motion of the sun or of the moon involves , in either case,  three spheres, of which the first is the sphere of the fixed stars, and the second moves in the circle which runs along the middle of the zodiac, and the third in the circle which is inclined across the breadth of the zodiac; but the circle in which the moon moves is inclined at a greater angle than that the second in which the sun moves.
 エウドクソスは、太陽や月の運動は、3つの天球が関与すると考えた。その第1のものは恒星の天球であり、第2のものは黄道帯の中央に沿って走る円を動き、第3のものは黄道帯の幅を横切って傾斜しているが、月が動く円は、太陽が動く2つ目よりも大きな角度で傾斜している。

 ギリシア語の原文に当たった訳ではないが、この改変バージョンであれば、黄道天の赤道に対して約23.4°傾いていて、白道黄道に対して更に約5.1°傾いていることにも整合的になる。アリストテレスは専門の天文学者ではなく、『天体論』では太陽を5惑星よりも地球に近いものとして月のすぐ上に置いたりしていたりするような人*5なので、「太陽や月の運動の説明に必要な天球(の種類)は3つ」と聞いたのを「太陽や月の運動の説明に必要な天球は3つ(3個)」と解釈して、アリストテレスなりに分かりやすくしようとして「太陽や月の運動に必要な天球はそれぞれ3つ」と記述したというのが案外ありそうな気がする。もしそうだとしたら、オリジナル版のエウドクソスの同心天球説においては、太陽と月にはそれぞれ2個の天球を割り当てていたとするのが尤もらしいのではないだろうか。

*1:エウドクソスのモデルの数値パラメータとしてきちんと反映されていたかどうかは不明だが、厳密には恒星天球の1回転は1日よりもわずかに短い時間(約4分短い)でなければならない。季節によって見える星座が異なり、星座は1年をかけて1周するからである。このことは当時でも知られていたと考えなければならない。

*2:1世紀ほど後のアルキメデスが『砂粒を数えるもの』の中で、エウドクソスが太陽と月の直径の比は約9倍であると主張したと言及しているが、そちらの学説の方は、アリストテレスには影響を与えなかったようである。

*3:第一変則性はカリポスによって発見されたのではなく、通説によるとはエウドクソスよりも古い時代に知られていたようだ(紀元前5世紀のエウクテモンが四季の長さの不均等性について述べていたらしい)。カリポスの観測はこれを定量的に評価しようとしたもののようだ。

*4:エウドクソスの理論に関して、アリストテレスの記述を超える情報は、主としてシンプリキオス(480 AD頃~560 AD頃)によるアリストテレスの『天体論』への注釈によるのだが、これはプトレマイオス(100 AD頃~170 AD頃)の『アルマゲスト』にパップス(290 AD頃~350 AD頃)が注釈した場合よりも時代の隔たりが格段に大きく、どこまで信用できるのか不安な部分もある

*5:太陽は金星や水星よりも地球に近いとプラトンが考えていたようなので、アリストテレスはそれに引きずれられていたのかもしれない。