地獄のハイウェイ

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浦沢直樹PLUTOを読んで

鉄腕アトム「地上最大のロボット」の
浦沢直樹によるリメーク「PLUTO」を読んだ。
原作のストーリーから逸脱しないという制約がある中で
中々健闘した作品だと思うが、難点も少なくない。

例えば、原作にないオリジナル要素として加えられた
トラキア合衆国大統領とスーパーコンピュータだが、
物語において黒幕的位置づけなのに実質的に機能していない。
最終巻の描写ではプルートゥの開発であれその7人のロボットに対する戦いであれ
戦争に敗北して国を失ったペルシア国王ダリウスの指令であることになっている。
これではトラキア合衆国側の陰謀で7人の世界最高水準のロボットの破壊を狙うには
回りくどすぎる上に不確実すぎて説得力がない。
ダリウスが戦争に参加したロボットの破壊を命ずるのを期待するのは良いとしても、
従軍拒否したエプシロンには敵意をいだかない可能性は考えないのだろうか?
また戦災孤児を養育していることをダリウスが肯定的に評価すれば
エプシロンに対する破壊指令の中止を言い出す可能性だってある。
本作中でもヘラクレスを一蹴してするなど最高の戦闘能力を持つエプシロンが
ターゲットから外れる可能性があるような作戦なんてリアリティーがない。
トラキア合衆国の陰謀とダリウスの復讐はどちらか一方だけがあれば十分なのに
両者を並存させることで物語の構造が狂っているのだ。

また、現実のイラク戦争を投影したであろう
大量破壊兵器となり得る高性能ロボット」という設定が良くない。
本作の物語上の中心人物で超合金ゼロニウム製のゲジヒトや、
巨大なエネルギーを操るエプシロン等はともかく、
戦闘用ボディーと生活用ボディをもつブランドやヘラクレス
どこがどう高性能なのか判然としない。
電子頭脳が世界最高水準の高性能だからというのでは、
アブラー(人間の方)が作っていたサハドはどうなのだ?
サハドの電子頭脳がプルートゥに移植されて他のロボットを破壊するのだから
サハド=生活用ボディー&プルートゥ=戦闘用ボディーという関係になる。
サハドは大量破壊ロボット製造禁止条約に違反しないのか?
ましてやゴジ(アブラー)は世界最高の完璧な電子頭脳として設計されているのだから
条約違反なのは言うまでもないから
トラキア合衆国の言い分はその部分では筋が通ってしまい
架空の大量破壊兵器の存在によるイラク戦争とは話が違う。
現実の批判としての虚構という点では全くの失敗ではないか。
恐らくブランドのエピソードでの家族愛というメロドラマのために
生活用ボディーというアイデアを採用したのだろうが
結果として物語の構図に破綻を来たしてしまっている。

またブラウ1589に見られるように
原作の青騎士篇で見られるロボットの感情(心)というテーマを
組み込むことで再構成を狙ったというのは間違いないだろう。
しかしゲジヒトの憎しみの感情によって再生したアトムが
憎しみの感情を乗り越える場面が、
公園のカタツムリのシーンで描かれているのに、
その後のプルートゥとの戦いでもう一度繰り返されるのは
結果的にロボットが本物の心を獲得するというテーマを薄めてしまっている。
またカタツムリの場面はそれほど印象深くなく
残念ながらマンガ表現としての強い力は感じられない。

また、ゼロニウムの開発者でゲジヒトのメンテナンスも担当しているホフマンが
ゲジヒト夫妻が養子を取ったことやその養子が殺されたことを知らないというのは
どう考えても非常に不自然な設定であり、
そのため物語の重要な鍵でもあるエピソードを損なっている。

かなり辛口の評価になってしまったが、
個々のエピソードや表現には優れたものもある。
とりわけノース2号篇は独立した短編作品として読むことができ
非常に完成度の高いものだと評価できる。
このエピソードは他の部分が滅びても伝えられるべき価値があると思う。