地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

求められているのは学知ではなく賢慮

sivadさんが「たぶん科学リテラシー以前に生活リテラシーが必要なんだと思う」
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20090928/
というエントリーを書かれている。
書かれている内容にはほぼ同意できるので、
ぴったりの言葉を思い出したので紹介しておきたい。

それはアリストテレスの「賢慮」(プロネーシス、フロネーシスとも)という言葉。
知慮とか思慮分別とか実践知と訳される事もある。

アリストテレスの用法ではプロネーシスは、
テクネー(技術)、エピステーメー(学問)、ソフィア(智慧)、ヌース(直知、理性)
と並んで「真を認識するところのもの」として掲げられている。
ギリシア哲学と現代では知識を取り巻く状況は違うし、
アリストテレスの議論をそのまま持ってくるわけにはいかないが、

「人間にとっての諸般の善と悪に関しての、ことわりを具えて真を失わない実践可能の状態」
(「ニコマコス倫理学」1140b、高田三郎訳、岩波文庫p.224)

というのはsividさんの生活リテラシーにぴったり重なるように思う。