ワールドカップでドイツの勝敗を予言したタコの話がちょっと話題になっている。
ドイツと対戦国の国旗をつけたエサ箱のどちらに行くかで占うというもので
今回のドイツの勝敗を全て当てたということ。
しかしながらこのタコに本当に予言能力があると思っている人は、
ほとんどいないだろう。
タコが創造神なり主宰神なりの「お使い」として崇拝されている文化圏ならいざ知らず、
タコの行動が神意の表れであるとは考えられておらず、
またタコに高度な精神活動が認められているわけでもないから、
タコの予言(?)をサッカーの試合の勝敗とまじめに結びつけて考える事が
馬鹿馬鹿しいと多くの人が考えているからだ。
一方でジンクスとかゲンを担ぐとか、
そういうのを信じている人は少なくない。
そういう経験の一般化は、
ヒュームが「思考の習慣」と呼んだように
人間の思考の基本パターンで、
連続して起きた経験を関連付ける連合学習そのものだとも言える。
連合学習の能力は系統的に人間から相当離れた線虫でも見られるものだから、
進化の早い段階から動物に実装されているものだ。
だから我々が帰納法で経験を安易に一般化してしまうのは、
ある意味仕方のないことなのだろう。
古典的な枚挙帰納法に代表されるように
帰納法はつまるところ個別例の一般化であって
「観察されたAはBであったから、全てのAはBである」という推論だ。
ところが文化的背景から2つの事象の関連性を否定的に見ているから、
「これまでタコの予言が当たったので次も当たる」とは推論しない。
そう考えてくると、
迷信から科学への知識の進歩というものは、
実は帰納法の適用範囲を制限できるようになることだ、
と言えるのかもしれないと思った。