ここで話題にしようとしている「国プロ」とは、政府の資金を使って大学や民間を巻き込んで行われる大型の研究開発プロジェクト*1のことである。もちろん成果を上げているケースもあるが、集中的な開発投資が行われているはずなのに成果が十分に上がったのかどうか良く分からないケースが少なくない。この辺の事情については科学技術政策に関する研究者が色々と調べていると思うが、素人ながら思いついたことをコメントしてみる。
まず、失敗を失敗として教訓にできない点が問題だと思う。プロジェクトのスタート時点で目的なり目標なりが設定されている場合に、報告書のレベルで「〇〇が解決できなかった」とかは書かれることはまずない。マネジメントに問題があったのか、課題の設定自体に無理があったとか、想定外の問題点が見つかったとか、失敗の理由は色々とあり得るが、資金を配る側(省庁の担当であったり元請の国研だったり)は、結果的に予算が無駄になってしまったとは死んでも書けない。国研であれば次の資金の獲得が絶望的になるかもしれないので、何とか肯定的な評価を報告して、後継プロジェクトなりの研究資金獲得に繋げるのが担当者の責務となる。このため研究者も事務方も失敗を認めるよりは、最終年度が近づいてくると進捗があったかのように小細工することになる。そして成果が判然としない似たような国プロが次々と生まれることになる。
次に、民間からお付き合いで参加する研究者・技術者も問題だろう。同業他社との競合が生じ得るような国プロの研究開発テーマに、営利企業がエース級の人材を出すことは、普通に考えれば自社の利益を損なうことに繋がりかねない。仮に名前の通った一流の人材を出すとしてもエフォート率は低めにして、それこそ小手先の成果だけ報告しもらうに止め、本業に力を傾注してもらいたいというのが経営側の思惑といったところだろう。あるいはそれなりに実力があっても社内で浮いているような人材を差し出すのが賢い経営的判断と言えるかもしれない。
仮に上記のような点に問題がなかったとしても、プロジェクトの進捗管理は難しい。プロジェクトリーダーには、複数の参画機関の間の利害調整以上の役割が要求される。当該分野で著名で参画メンバーを集めやすい大物であったとしても、簡単にはメンバーや参画機関を切ったり入れ替えたりが自由にできるわけでもないから、どうしても護送船団方式で誰も傷つかないような落としどころを探ることになる。その結果として改善点は積み残しになりがちで、期待されていたような成果があがることが稀になってしまうのだろう。