地獄のハイウェイ

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伝統医学としての予防接種

ワクチン(vaccine)という言葉が、
E.ジェンナーが牛痘から種痘を開発したことに因んで
牝牛を表すラテン語"vacca"から造語されたことにも見られるように
ジェンナーの種痘は近代医学の予防接種の先駆けと見なされている。
それはそれで間違っているわけではないのだが、
種痘の前史として人痘接種というものがあり、
ちょっと調べてみたところ中々面白い。
(先日紹介した服部伸の論文「ホメオパシー信奉者たちにとってのジェンナーの「記憶」」
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004999731
 でも人痘接種について触れている。)

英国に人痘接種が紹介されたのは
ジェンナーの1796年の種痘に先立つこと約80年、
1717年に駐トルコ大使夫人だったメアリー・モンターギュ(Lady Mary Wortley Montagu)が
当時のオスマン帝国でおこなわれていた人痘接種を書簡で英国に伝えている。
彼女は更に自分の子供にも人痘接種を受けさせていて
1719年の英国帰還後も熱心に人痘接種を紹介したようである。
メアリー・モンターギュの「トルコ書簡集」の翻訳はネットで見ることができる。
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/tur/theses/2001/konno02.pdf
(この翻訳中では種痘と表現されている)
そして、なんと1722年には当時の英国皇太子(後のジョージ2世)夫妻の子供にも
人痘接種が行われたというのだ。

オスマン帝国の人痘接種の発展史については、
調べた範囲では十分には分からなかったが、
どうもインドで起こったものが伝わったようだ。
確実な記録に従えばインドでは
少なくとも8世紀頃には人痘接種が行われていたようだ。

一方、インドとは独立に中国でも人痘接種が発達したようで
確実な範囲では明の時代に万全(Wan Quan)が1549年に「痘疹心法」で
人痘接種について記述しているそうだ。
また、清の乾隆帝の勅により編纂された「医宗金鑑」56-59巻には
呉謙(Wu Qian)による「痘疹心法要訣」(1742年?)が纏められているそうだ。
この中国方式の人痘接種は皮膚に傷をつけて接種するのではなく、
天然痘患者のかさぶたを粉末化して鼻から吸引させるというものらしい。

そうなってくるとこの中国式人痘接種が日本に伝わったかどうかが気になるのだが、
1744年に李仁山が長崎で人痘種痘を実施したとか、
1752年に「医宗金鑑」が日本に伝来したとかそういうことがあって、
1790年には筑前の緒方春朔(1748~1810)が「医宗金鑑」の手法に
独自の改良を加えて人痘接種に成功しているそうだ。

緒方春朔はその著「種痘必順弁」(1793年)に
「余ガ試ル処ノ者、既ニ千数ニ及ブトモ、未ダ一児ヲ損セズ」と記しているそうだから、
http://www.ogata-shunsaku.com/igyo-2.html
英国での人痘接種の死亡率や事故率と比べて(死亡率300分の1程度?)
相当に安全性が高く優れた手法だったように思われる。

さてこのような中国式人痘接種は、
西洋医学とか近代医学とかではありえない訳で、
漢方医学というか中国伝統医学の範疇に入るのではないだろうか?
そう考えてくると、
予防接種というものは近代医学の発明品というよりも
人痘接種のような伝統医学の遺産を受け継ぐもの、
と見た方が良いかのもしれない。

※参考サイト情報
九州大学のヴォルフガング・ミヒェルによる
「東西の古医書に見られる病と治療」
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/exhibitions/20070510_0517/exhib3.htm
は色々と貴重な情報をまとめてくれていて参考になる。
ただ残念ながらモンターギュの綴りの誤記や
"Princess of Wales"を「ウェ-ルズ王女」と訳すなど同意できない点もある。