地獄のハイウェイ

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『原発事故と科学的方法』を読んで

牧野淳一郎『原発事故と科学的方法』を読んだ。
読む前に思っていたのとは、ちょっと違っていた。

原発推進側の当事者(政府や電力会社)のみならず、
原発とは直接的な利害関係のない科学者の少なくない部分が
使えるはずの「科学的方法」を使用しないで、
嘘や欺瞞に加担して垂れ流していたことを告発しているような、
そういうものを想像していた。
だがそうではなくて事故当時の「大本営発表」は、
ちょっと理性を働かせればバレるような代物であることを
どちらかと言えば淡々と綴った書物だった。

利害が深刻に対立して争っているような場面では、
わずかな言質もとられないようにという思惑から
不利な事柄については、
「そんなことは見たこともないし想像したこともない」式の
言い逃れが見られるのは日常的にも経験することだ。
それに不祥事の釈明のための企業や芸能人の記者会見などでは
後でバレるようなその場しのぎの言い訳も良く見掛けたりする。
だから政府も都合の悪いことに頬かむりしたり
見え透いた嘘を吐いたりするのは
ある程度想定範囲内だと思うのだが、
政府とか公的機関を盲目的に信頼する人が少なくないのも事実だ。

また国策プロジェクトについては非常に問題があっても
公的には「成功裏に終わった」とされがちなことも
共犯者的立場であったりして十分に分っているはずの研究者達が、
そういうことは棚に上げがちなのも、
これまでも何度となく見て来たことだ。
死活的な利害に直結しないのなら「空気」を読んで
「お上」に楯突かないのが賢い処世の術だから、
仕方がないのことなのかもしれない。

自分が非常に怖いと思うのは、
「嘘」をついている側や、あるいはそれを黙認している人達が
いつの間にか自己催眠に掛かって「嘘」の虜になってしまうこと。
もしもそうなってしまうと
認知的不協和とか心理的防衛機制とかそういった類の心理状態から、
理性的な批判であっても耳を貸さない状態になってしまう。
原発関係では事態はまだそこまで悪化していないのかもしれないが、
そういった事態に陥らないためにも、
本書が多くの人に読まれることを希望する。