関東地区公立小・中学校女性校長会総会・研修会というところで
江本勝が「水からの伝言」の講演をしたという話があって物議を醸している。
※参考ページとしてFSMさんの「『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)」
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10139358661.html
を挙げておく。
この件に関しては「水からの伝言」というか江本勝の活動を批判することと
「良い言葉が良い結果をもたらす」とか
「悪い言葉を避けることで悪い結果を避ける」といった
魔術的な言語観を批判することを分けて考えるべきではないかと思う。
言葉とそれが表す対象の間に神秘的な関連があり、
言葉の使い方によってもたらされる結果に違いがあるとする、
魔術的な言語観は「言霊信仰」とか結婚式の「忌み言葉」のように、
日本社会では古くから脈々として受け継がれてきたものであり、
ある意味では日本の精神文化の基層をなしていると言っても良いのかもしれない。
また呪文や真言のような特別な言葉に魔術的な力があるというのであれば
日本に限らず幅広い文化圏で共通して見られるものである。
それは大衆文化の中で「ハリー・ポッター」のようなファンタジーを通して
繰り返し繰り返し再生産され続けている。
そしてまたビジネス書や自己啓発といった大衆文化の中で
「ポジティブ・シンキング」における「肯定的な言葉を使う習慣」といった形で
間接的ながら魔術的な言語観の強化は続いている。
だから魔術的な言語観を大衆文化から駆逐しようとしても容易ではない。
自分の見たところ、
本気で「水からの伝言」を信じている人もいるかも知れないが、
むしろ「悪い言葉を避けて良い言葉を使え」といった
教訓を垂れるための話の枕として使われている節がある。
すなわち上記の魔術的な言語観を持った人達に
身近な例証として受け取られているようだ。
「水からの伝言」に対して科学的に間違っていると批判をしても
「間違っていても良い話だから構わないじゃないですか」式の応答が多いというのも
そういうことではないだろうか?
つまり「悪い言葉を避けて良い言葉を使え」という教訓を伝えたいだけだから、
「水からの伝言」が科学的に間違っていようが、
あるいは江本勝が怪しげな商売をしていようが、
話を止めるつもりにはならないのだろう。
「水からの伝言」を批判しても
魔術的な言語観自体を変えさせることは難しい。
目標が魔術的な言語観を変えさせるのではなく
「水からの伝言」を教育で使わないように説得したいのであれば
「形式ではなく真心が大事」とか「巧言令色鮮し仁」とかの話とか
あるいはいっその事
「言葉は発する者の心構えによって善にも悪にもなる」という
言霊信仰の本来の考え方について話をした上で、
「水からの伝言」が好ましくないと指摘する方が
ひょっとすると効果的かもしれないとも思う。