地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

活動としての科学か体系としての科学か

ムペンバ効果という、温度が高い水の方が
より低温の水よりも短時間で凍るという現象をめぐって
ネットでいろいろと議論があったようだ。
自分自身は話題になるまでこの現象を知らなかったけれど
一部では良く知られていた現象のようだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mpemba_effect
これはこれで面白い話だと思うのだが、
大槻義彦が不適切な批判をしたために、
疑似科学批判方面でも話題になったようだ。

ここで改めて大槻を批判することはしなくても良いと思うが、
自分がとても気になったのは
「メカニズムが解明されていないと科学的でない」という考え方が
結構蔓延しているらしいこと。
この考え方の問題点は、科学を知的活動としてを見るのではなく
出来上がった知識の体系として見ているということ。
科学の参加者ではなく受容者にとっては活動としての科学ではなく
その出来上がった成果としての知識の体系という風に見えるのだろう。
確かに科学コミュニケーションの分野でも問題とされる
古い「欠如モデル」は「知識の体系としての科学」という科学観と
極めて親和的なので、
「メカニズムが解明されていないと科学的でない」といった見方が
広く見られるということなのかも知れない。

しかし何らかの奇妙な現象に興味を持ったら
その現象が起きる条件や現象を支配する因子を確定し
その上で現象のメカニズムを解明すると言うのが
知的活動としての科学研究なのではないだろうか?
論文のイントロでは「本研究の目的は○○の詳細なメカニズムの解明である」
なんていう感じの言い回しを良く見掛けるが
カニズムが未解明の現象は主要な科学研究の対象であり、
だからこそ「○○現象の解明」といった研究に
多くの科学賞が与えられるのではないだろうか。

本記事は、
buyobuyoさんの
「機序が明らかではないことを全部拒否したら生活できませんよ?」
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080727/p1
というエントリーと、
lets_skepticさんの
「批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと」
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080729/p1
というエントリーに触発されて書いたものです。