ニセ科学とか疑似科学を受け容れてしまっている人は、
それに何らかの共感を覚えているから嵌まってしまったのだろうし、
一方でニセ科学を批判しようと人の多くは、
それに反感を覚えているからこそ、その行動を起こすのだろう。
科学に纏わる様々な問題群には
例えば研究不正とかポスドク問題といろいろあるわけで、
そう言った諸々の問題の中からニセ科学批判を自分の問題とする動機は、
それに対して感じるところがあるからだろう。
そしてその感じるところというのは、
ニセ科学が拡がることへの共感ではなく反感だろう。
だからニセ科学批判はどうしても、
反感を持った人が共感を持った人への働きかけとなってしまう。
これは説得の問題として考えると非常に困難な状況と言えるだろう。
服装でも音楽でも何でも自分の好きなものを
それを嫌っている人物から「それは本物でない」とか言われても
「ほっといとくれ!」というリアクション以上のものは考えにくい。
それよりは「それも良いけどこっちはそれ以上に良いよ」と言われる方が
話を聞いてみようかという気になるのは確かだ。
代替医療関係の場合なら正統医学と調和的な態度の伝統医学もあるので
後者のような対応も可能かも知れないが
しかしニセ科学批判ではそれは難しい注文だろう。
突飛な発想かもしれないが科学に詳しいオカルティストの方が
ニセ科学批判では強力な戦力になるかも知れないと思う。
というのは「水からの伝言」とか「波動」とかのようなニセ科学は、
「オーラの泉」のようなポップ・オカルトに近い感じがあるからだ。
ニセ科学に嵌まった人をそこから抜け出させるには
むしろ神秘思想とか近代心霊主義とかに詳しい人物の方が
良いのかもしれないとも思う。
※本記事は、poohさんの「共感の陥穽」
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-07-01
というエントリーに触発されて書いたものです。