先日、紹介したE.ソーバーは進化生物学における集団選択(群淘汰)を擁護する議論をしていることでも有名で、進化生物学者D.S.ウィルソン(最近「みんなの進化論」の邦訳が出た)との共著もある。ソーバー自身の議論は「進化論の射程」の第4章「選択の単位の問題」でも読めるので関心ある人は是非読んで欲しい。
しかしながらポピュラー・サイエンス分野では「集団選択は間違った考え方」というような言説が広く流通している。例えば今年の科学ジャーナリスト大賞を受賞した北村雄一の「ダ-ウィン『種の起源』を読む」を見た際にもそういう表現に出くわした。北村のサイトのページにも
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/origin-of-species-top.html
“群淘汰”という結果的に間違っていた/あるいは使えないことがばれたアイデアが流行っていました。
という表現が見られる。
一方でTV番組などでは「種の維持のため」みたいな素朴過ぎて頭の痛い集団選択的言説も相変わらず多く見られるので、北村のような素朴な集団選択否定論者の存在もバランスを取る上では役に立っているのかもしれないが、健全な科学コミュニケーションという観点から見て良いこととは思えない。
はっきり言おう集団選択は間違った考え方などではない。そのようなモデルが研究に有益かどうかについて論争のある考え方であるが、数学的モデルを作ることができ成立条件がはっきりしていてそしてそのモデルで説明できる現象が知られている。ライバルとされる血縁選択説のような理論と実は説明力において大きな差があるわけではない。(化学結合論における分子軌道法と原子価結合法の差のようなものはない)
集団選択を認める/認めないという対立は、還元主義的な観点(遺伝子選択主義)とそうでない観点の対立である、というのが実際のところだろう。
なお集団選択に関してネットで入手できる文献としては、金井雅之の「進化ゲームにおける選択的相互作用モデルの意義と課題」
http://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/18/2/153/_pdf
という論文が良くまとまっていると思う。