「最果タヒ ノ 森山森子」というブログの
“「なんの役に立つんですか?」の暴力性”http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
という記事が話題を集めているようだ。
その主張の素朴さにはちょっと微笑ましくも感じるのだが、
一方で幾つかの違和感を覚えるのも事実。
近代科学勃興期にスコラ的学問を大学から駆逐して取って代わった過程で
「役に立たないスコラ学vs.役に立つ科学」という対比を旗印にしたのだから
科学者がその研究について「何の役に立つのですか?」と問われるのは
大学等で国家的支援を受けるために背負った十字架のようなものではないだろうか。
科学の娯楽性とか芸術性に相当する価値を強調するよりも
何かと実用性を強調したがる研究者自身が
「実用性>娯楽性or芸術性」というフレームワークにとらわれているのだと思う。
もちろん応用科学者の場合は実用を目指しているのだからそこに何の矛盾もないのだが、
社交辞令で有用性を述べているのならともかく、
基礎科学の研究者がとってつけたような「有用性の可能性」みたいな言い訳をするのは
本人自身が「有用性>娯楽性or芸術性」という価値観だからではないのか。
一方で、
「文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物でしかない。」
とかの物言いって応用科学者に対してとっても失礼だと思う。
自分は役に立たない科学も、
もっと役に立ちそうにない人文学も大好きだし、
それに人生を賭けちゃった人達も心から応援しているけれど、
「なんの役に立つんですか?」と聞かれて
そこに暴力性を感じてしまって慄くような軟弱な人は
そんな人生を送らない方が本人のためのような気がする。