あらきけいすけさんという方が、
オウム真理教をニセ科学関連の観点から論じることへの違和感を書かれた記事の中で、
「特に社会の衝撃を与えたのは、ボクの理解では、「カルト」と「科学・技術の正確な使いこなし」の結合がテロという形で表に出てきたことである。」
と論じられている。
http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090425
オウム真理教は空中浮揚のようなオカルトや疑似科学を宣伝していたこともあって
疑似科学とかニセ科学とかそういう文脈で語られることも多いし、
一方で幹部に理工系有力大学の出身者が少なくなかったことから
理工系学生のカルト教団への免疫のなさとかそういう文脈から語られることも多い。
宗教関係の団体が布教を行う際、
特に知識階層でない人々を対象とした布教の際に
奇跡とか神秘的あるいはオカルト的な物語をするのは洋の東西を問わず珍しくない。
仏教説話のジャータカとか中世キリスト教の「黄金伝説」などもその類だろう。
しかしそういうものでその宗教の中核部を語ることができるかというと難しい。
一般信者ではなくその宗教の聖職者にとっての理論的指導者である
仏教なら龍樹とかキリスト教ならトマス・アクィナスとか
そういう人達を語るのには専門的な教学・神学が必要であって
神秘的な物語は不可欠な要素かどうかはかなり疑問である。
オウム真理教の場合であっても末端の宣伝行為と
幹部連中の考えていたことは区別しなければまずいだろう。
オウム真理教の場合、洗脳などの強引な手法のことも考えると
オカルト・ギミックは信者獲得の手段であって、
幹部連中が信じていたかどうか過大視しない方が良いと思う。
もちろんオウム真理教の場合、
呪術的な超能力を重視するチベット密教から様々なものを拝借しているので
オカルト的なものを肯定する傾向があるのは間違いないだろうが
それを末端信者向けのオカルト・ギミックと混同してはまずいだろう。
少なくとも村井秀夫のような理工系有力大学出身の幹部が
末端信者向けのオカルト・ギミックを心から信じていたとは思われない。
教祖の麻原彰晃が空中浮揚できないことは百も承知だったに違いない。
現世的・世俗的な理性によっては理解に到達できないものとしての
神秘体験とかそういうものは信じていたというのならそうだろうが、
それは通常の科学的思考と十分に両立する。
科学的思考というのは現世的・世俗的な理性によって行使されるものであって、
神秘体験に基づく超俗的・霊的な覚醒を獲得しない者にとっての真理、
すなわち世俗諦であるというのが神秘主義者の科学観であることを考慮すれば、
世俗的な生業においては科学的思考を否定する必要はない。
体系化・システム化されているとは言え世俗諦である科学と
神秘体験等によって言語の限界を超えたところで体得される超越的真理・勝義諦という
仏教やニューエイジ的カルトなどに見られる真理観に立てば、
道具を操作するレベルでの科学と修行やイニシエーションといった霊的操作は
使い分けることに何の抵抗もないだろう。
村井秀夫はオウム真理教に入る前からチベット仏教マニアであったと聞くから
カルト教団に免疫がなかったからのめりこんだというよりも
むしろ積極的に科学と神秘主義の使い分けができたのではないかと思う。