地獄のハイウェイ

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科学教でも良いんじゃないか

池田徳正さんが「ネットに蔓延する科学教を考える」という記事を書かれている。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-1933.html
自分は科学を技術知の延長線上に考えるプラグマティズム的立場だし、
宗教的には科学を「世俗知」とみなす立場に近いので、
(「オウム真理教と科学の関係について考える」を参考にして欲しい)
決して科学教信者ではないが、
「科学教」とか「理性崇拝」とかはそういったものは許容できる。
それは仏教とかキリスト教を許容できるのとほぼ同じことだ。

仏教でもキリスト教でもその宗派のバラエティが相当に広いように、
科学教も理神論やら不可知論やら無神論やら宗派も色々だろうし、
穏健派から急進過激派まで色々いると思うが、
「非科学的なものが許せない」と考える人達がいても不思議ではないし
むしろ自然な成り行きだと思う。
そしてそういう人達が「疑似科学」とかオカルトとか
あるいは「科学教」以外の宗教に対して敵意を持っていても良いんじゃないかと思う。
「科学の限界」を変に弁えたりしていると
カルト宗教とかには批判を抑制したりとかになってしまうし、
そういうものの被害者を救うことも難しくなるんじゃないかと思う。

カルト宗教の信者は単に脱会させても別のカルトにはまったりしがちなので、
有効な脱会活動が既存の真っ当な宗教団体の人達によるものが中心であるように、
宗教には宗教で説得に当たるのが一番良いように思う。
だから科学教は仏教なりキリスト教と同じような宗教として、
カルト被害者の救済に取り組めばいいのじゃないだろうか。
曰く「神は妄想である」とか「天国も地獄も存在しない」とか。
もちろん仏教でもキリスト教でも(科学教から見た)異教の信者に
科学を探求することができないわけではないし、
自分も科学教ではない立場から「科学批判」も含めてやっていくつもりだ。