地獄のハイウェイ

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子供であっても自己決定の重要さ

ほとんど報道されていないが、
7月7日の参議院厚生労働委員会での参考人である
生命倫理学者の森岡正博大阪府立大学教授の発言は広く知られるべきものだ。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090708/1247014793

そこから個人的に注目した部分を抜き出す。

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事実は、どうなのでしょうか。
昨日も、丸川議員から、その点について最後に御質問があったと存じます。
それについて、私が、代わって、お答えしたいと思います。
2000年に、日本医師会雑誌に発表された、旧厚生省研究班の論文
「小児における脳死判定基準」というものがあります。
これは日本の小児脳死判定基準を定めた、決定版の論文でございます。
寺岡さんが発言で引用されていたものであります。
論文には次のように明記されています。
まず、
脳死とされる、6歳未満のこどもについて、
厳密に、無呼吸テストを2回以上実施して、
無呼吸が確認されたケースが、20例あった。
これは、小児脳死判定基準を厳密に満たしております。
そして、その20例のうちの、
7例、
長期脳死になっています。
すなわち、無呼吸テストをおこなった、6歳未満の脳死のこどものうち、なんと、35%が長期脳死になっています。
さらに驚くべきことに、そのうちの4例、すなわち、20%が、100日以上、心臓が動き続けております。
これが、論文で発表されている事実です。
無呼吸テストを厳密に実施した脳死判定で、
脳死のこどもの3割以上が長期脳死になっており、
2割は100日以上、心臓が動いている。
我々は、まず、この厳粛たる事実を、胸にきざまなくてはなりません。
どうして、このような重大な事実が、国民に広く知らされてこなかったのでしょうか。
この論文は、日本で最も権威のある、脳外科の医師である、竹内一夫先生のグループによって執筆されたものでございます。
この論文の注に引用されている論文の一つが、
日本救急医学会雑誌2000年のもので、
「300日以上脳死状態が持続した幼児の一例」
というものであります。
これは兵庫医科大学のケースであります。
このケースでは、生後11ヶ月の男児が、脳死になったのち、
厚生省研究班の小児脳死判定基準を、2回の無呼吸テストを含め、厳密に満たしております。
その状態で、326日間、約1年弱、心臓が動き続けております。
論文には、2回の無呼吸テストを含む神経学的評価をおこない、基準を満たしていることを確認した、と明記されておりますし、
医学的には、本例は早期から脳死状態にあったことはまちがいない、と明記されています。
小児脳死判定基準を厳密に満たし、2回の無呼吸テストをおこない、脳死と判定されたうえで、
326日間、心臓が動き続けた、長期脳死の例が、はっきりとあるのです。
それだけではありません。
この間、身長が、74cmから82cmまで伸びています。
成長しているのです。
また、90日頃から、手足を動かし始め、いちじるしいときには、あたかも踊るように見えた。
いわゆるラザロ徴候というものですが、
手足の動きは、心停止まで続いております。
再度確認しますが、この兵庫医科大学のケースでは、無呼吸テストは、24時間あけて、2回、おこなわれています。
ここにもマスメディアの皆さんがおられますが、脳死についての正しい情報を是非とも国民に知らせてください。
心臓が100日以上動き続け、成長し、身長も伸びる脳死のこどもが、死体である、とする、国民のコンセンサスはありません。
また、長期脳死になるかならないかを見分ける、医学的な基準も発見されていません。
たとえ、親の同意があったとしても、長期脳死の可能性のある脳死のこどもを死体と断じ、
その身体から心臓や臓器を取り出すことは、危険すぎます。
これらの点について、こども脳死臨調で、専門的な調査をおこなって、その結論が出るまでは、
脳死状態のこどもからの臓器摘出を許可してはならない、と私は考えます。

(中略)

ドナーカードを持っていない人というのは、持たないことによって、何かの意思表示をしていると思うのです。
そのうちの多くの人々は、迷っているのです。
この、迷っていることを尊重すべきだと、私は思います。
我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて、迷う自由があります。
この迷う自由を人々から奪ってはなりません。
迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。
すなわち、迷っている間はいつまでも待っていてあげる。
もし決心がついたら申し出てください。
これが、本人の意思表示の原則なのです。これが現行法の基本的な精神となっております。
A案、すなわち、拒否する人が拒否の意思表示をすればよい、というA案では、
この、迷う自由、悩む自由というものが守られません。
なぜなら、あれこれ迷っていたら、迷っているうちに脳死になってしまい、
家族がもし承諾してしまえば、臓器をとられてしまうからです。
迷っていたら、臓器をとられてしまいます。
これが、わたくしがA案に反対する、大きな理由の、一つです。
最後に、脳死の議論で忘れ去られがちになるのは、脳死になった、小さなこどもたちです。
彼らは、生まれてきて、事故や、病気で脳死になり、そして、
ひょっとしたら、何もわからぬまま、臓器までとられてしまうのです。
あまりにもふびんではないでしょうか。
ここから、私の個人的な見解、といいましょうか、思想、哲学になるのですが、
こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、
外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、
まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、
自然の権利というものがあるのではないでしょうか。
そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、
本人がその権利を放棄する事を意思表示したときだけではないでしょうか。
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自分が付け加えられるものはほとんどないが、
移植を受けた患者さんが移植手術中の事故で亡くなられたり、
手術後の経過が悪いまま数ヶ月で亡くなられるケースも少なくないことを考えると
脳死と判断された子供さんのご家族に
臓器摘出を迫るような圧力は絶対あってはならないと思う。