地獄のハイウェイ

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ニュートン力学が「偽」であることについて

自分は科学哲学についてはずっと興味を持ってきた。
ポパーの「科学的発見の論理」はもちろんのこと
「推測と反駁」も「客観的知識」も読んだし、
ラカトシュの「方法の擁護」も読んでいる。
その上でポパー反証主義には賛成していないが、
反証主義というのがどういうものかについては、
それなりに理解しているつもりだ。

通俗的反証主義の解説に欠けていると思うのは、
科学理論を近似的仮説的なものと見るような態度は
反証主義とは根源的なレベルで衝突を起こすことへの理解だ。

反証主義は、科学を「真理」を求める活動と見ている。
もっと具体的にいえば
仮説を提案しテストして「偽」である事が分かったら棄却する
果てしなき探求のサイクルと見ている。
テストの基準が段々と厳しくなって行くことで
以前はテストに耐えていた理論が「真理」ではないと棄却される、
だからこそ科学は進歩すると見なされる。
ポパーも真理近接度(verisimilitude)といった概念を考案し
「真理」でない理論間の「真理」への近さを表現しようとしたりはしている。
だがどこかの適当な水準で満足して
「真理」でない、すなわち「偽」である理論で満足して良いのなら、
それは「技術」の活動であって「科学」ではないと見ているのだ。
多分、科学を「真理に関する知識」(エピステーメー)と見なし
技術的知識(テクネー)とは別物と見なす、
古代ギリシア時代からの科学観の流れにポパーもいるのだろう。

ニュートン力学は今でも受容されているが
反証されてしまっているのだから
ポパー反証主義では「偽」であることがはっきりしているのだ。
それが実用に十分だとかいうような
プラグマティックな「真理」観は反証主義と相容れない。

科学理論の進歩を単に近似の程度の向上と見なすなら
ユークリッド幾何学と同様の「真理」と見なされていたニュートン力学
「真理」でないとされた相対論革命の知的衝撃が理解できるだろうか。
相対論革命の知的衝撃が理解できなければ
ポパーを含む20世紀初頭の科学哲学運動についての理解は
非常に貧しいものにならざるを得ないだろう。