地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

アカデミアの兼務と「失敗の本質」

理研の「理研八十八年史より」というページを見ていたら
長岡半太郎が阪大総長時代に「不在総長」と言われたという話が自慢げに書いてあった。
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/riken88/text/no06.html
阪大はコケにされていても平気だったのかもしれないが
組織運営という観点から見ると非常に疑問に思う。
総長が不在でも組織が回るのならそれは不要の役職であり
また、もしも緊急事態などで総長業務を優先しなければならないときに
それに集中できないのなら役職者として失格だろう。

日本では「選択と集中」という掛け声で、
往々にして特定の研究者に色々な役職が集中してしまうことがある。
老大家が色々な機関のセンター長とかを兼務して
あっちこっちへ飛び回ったりしているなんていうことも珍しくない。
そういえば論文捏造事件の多比良和誠・元東大教授も
東大と産総研ジーンファンクション研究センターのセンター長を兼任していた。
論文捏造のような話には「多忙で指導が十分でなかった」式の弁明がつきものだが
そういう話はさておいて、
特定の人物に複数のタスクを処理させることが、
選択と集中」というお題目に相応しいかどうか考え直すべきではないだろうか。

個人の側から見ればリソースを複数の業務に振り分けているのだから、
集中ではなく分散でしかないのは明白だろう。
軍事の方では、「一点集中」が原則で「兵力の分散」が禁忌であることは有名だが
研究戦略とやらでは兵力の分散を強いるのが良いと思われているのだろうか?

作戦目的の不統一と兵力の分散は第二次大戦でも
日本軍の大きな失敗要因だったといわれている。
科学技術立国だとかそういう話にその教訓が生かされていないのだとしたら
またしても敗北が繰り返されることになりはしないだろうか。


タイトルの一部は戸部良一他「失敗の本質」(中公文庫)から拝借しました。