正論というのはとかく聞く側にとっては耳の痛いものだったりするので
立場が対等以上の相手に言うときには細心の注意が必要だと思うのだが、
何故だか、わざわざ相手を怒らせるような挑発的な表現を好む人がいる。
正論を言う側の方が立場が上だったら、
相手が感情的に反発しようが正論を言う側は困らないので
高圧的な態度はサディスティックな満足に繋がるのかもしれないが、
立場が弱い側なのに挑発的な正論を言い立てる人が不思議だった。
それであれこれ考えてみて、ふと説明を思いついた。
立場が弱い側、あるいは自分の判断が軽んじられることを我慢している人は、
相手を説得しようとして正論を言っているとは限らない。
実は相手を怒らせることで自分の正しさを確信したいからではないかというものだ。
まず正論であれば相手はどのような表現であっても否定できない。
だからわざと相手を怒らせるような表現でもまともには反論されない。
それどころかまともな反論がなされず感情的な反発しか返ってこないならば
それが正論であることを強く確信できる。
逆にレトリックを工夫しマイルドな表現で正論を述べて
相手を説得することに成功したとしても
正論だから受け入れられたのか、それともレトリックが成功したのか
成功の要因が曖昧になってしまい、
正論であることの確信を強化することには繋がらない。
そうであるなら、正論によって上位者を挑発し、
相手を怒らせることで自分の意見が正論であることを確信できる方が、
正論を述べる人物というセルフイメージの強化に好都合だ。
更に言えば弱い立場であれば、
自尊心を傷つけられることにも忍従しなければならないことが多いから、
正論を述べる人物というセルフイメージを強化することに加えて、
正論を述べるが故に迫害を受けるという
宗教上の法難と同様のものと見なすことで
逆境の中で自尊心を保つのに役に立つのだろう。