地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

科学コミュニティーの失敗なんかじゃない

ツィッターの方で、福島第1原発事故に関する科学コミュニケーションを巡って
「@hirakawah と@kikumaco の対話 欠如モデルほか」とか
http://togetter.com/li/145435
「科学者への信頼は失われたのか?科学者達の努力と疲弊」
http://togetter.com/li/145352
というような議論があったそうだ。
一部の科学者が世間に向けた情報発信を試みたものの判断を間違ったりして、
信頼を失ったとか、それでめげているとかそういう話らしい。

そりゃまぁ専門外の科学者・研究者が
脱原発運動で熱心に勉強している市民(職業研究者でないという意味)よりも
原子力発電やその事故については無知であったりするのは当然だろう。
まして市民の知識とか理解力に対して過小評価気味であったり、
権威主義的というか官尊民卑的なメンタリティーであったりすると、
大本営とか御用学者にコロリと騙されて、
そのお先棒を担ぐ破目になったって何の不思議もないだろう。

一方で「餅は餅屋」ではないが、
反/脱原発派や慎重派の研究者や技術者は、
的確あるいは冷静な情報発信によって
世間の信頼を増すことに成功しているではないか。
小出裕章、今中哲二、後藤政志あるいは木村真三と言った人達を見れば良い。
反/脱原発派でなくても良識ある研究者であれば、
御用のお先棒を担ぐような破目にはあっていないし、
信用も失っていないのではないか。
押川正毅とか牧野淳一郎はどうだ?

情報発信でヘマした研究者が後悔したり自尊心が傷ついたりするのは当然だし、
それはそれで理解できる。
むしろそれまで原発問題に関心が薄かった科学者が
にわか勉強で失敗したのに過ぎないだろうに、
それを科学者全体への信頼が失われたなんて思えてしまうのは
語り手の狭い了見を世界と同一視するいわゆる「セカイ系」みたいで、
ちょっと嫌だ。
世間だって科学者を万能の存在のように思っている人もいる一方で、
そんなことは端から期待していない人もいる。
数人の失敗をあたかも科学コミュニティー全体の問題のように考えてしまうのは、
世間に科学者を完全無欠の存在であるように期待して欲しいという、
科学者崇拝を期待する偏った価値観ではないだろうか?