地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

小保方晴子が信用できない一つの事項

昨日は笹井芳樹が釈明会見とやらをしたらしいが、
特に目新しい証拠などはなかったらしい。
世間の同情を集めるためには
筋道だった論理よりも感情に訴える方が良いというのは
大衆扇動の基本中の基本なのだが、
小保方とは違って笹井はそれよりは責任回避を優先したらしい。

ところで小保方は先日の記者会見の後、
14日に補充説明なるものを弁護団を通じて出したそうだ。
それによると曰く
STAP細胞の研究が開始されたのは5年ほど前のことですが、2011年4月には、論文に中心となる方法として記載した酸を用いてSTAP細胞ができることを確認していました。」

こういうのを見てますます信用できないと思った。

1月末のまだ疑惑が知られていなかった頃の報道では
米国に戻る予定が東日本大震災の影響で、
就労ビザがいつ手に入るか分からない状況になって
当時理研にいた若山照彦を頼って理研に移ったと報道されていた。
言うまでもなく震災は2011年3月11日だが、
米国のビザ取得困難というのであれば
原発事故で米政府が在日米人に避難勧告を出した3月16日以降のことだろう。
それから神戸理研に行ったとして、
最初はただのゲストでしかないので実験らしい実験はほとんど出来なかったはず。
(IDカードがないと実験室の出入りも困難だろう)
理研の研究資源を大手を振って使えるようになる客員研究員なったのは4月から。
ところが平成23年度(2011年度)予算が成立したのは3月29日だったので、
4月初頭は現場への予算配分などが遅れ気味で
購入品の起票などは、すぐには難しかったはず。
それに加えて3月末から4月初頭に掛けては
震災の影響で物流がストップしたり計画停電のせいで工場が止まったりで
いろいろな実験資材などを揃えるのは楽でなかったはず。
若山研にもストック品はあるだろうから実験はできないことはないが
3月半ば以降に急に受け入れ話が出て他所からやってきた小保方が
若山研で実験を本格的に軌道に乗せられるとしたら4月第2週でも早いくらいだろう。
ということは、
小保方は4月中盤以降の2週間か3週間程度で
最初の「STAP細胞」の確認に成功したということになる。
最初は多能性マーカーのOct4の発現を
数日掛けてライブセルイメージング撮影で追っかけるというやり方だろうから
何回の試行が可能だったのだろうか?
当時の若山研に何台のライブセルイメージング装置があったかにも依るが
ポスドクでもない客員研究員がその全ての装置を占領したりは出来ないだろうから
一度にそれ程多くの実験を並行して行うのは無理だろう。
となると、
酸の種類とかpHとか浸す時間だとか試すべきパラメーターは結構あるのに、
大した試行錯誤もなくいきなり成功したという驚嘆のサクセスストーリー。
こんな出来すぎた話を平気でするような輩を信用するのは愚かだと思う。