国内の大学院で博士課程への進学者数が減少していることについて、我が国の研究力の低下に繋がることを心配する声を一部で見掛けたりする。そういう背景もあってなのか昨年末には文部科学省が博士課程進学者1万5000人に生活費相当額の支援を行うという政策を打ち出したりしている。そういう支援策自体は無償の奨学金みたいなものなので悪いとは思わないが、その一方で若い人達に「博士課程へ進学するのはやめといた方が良いよ」と言いたい自分がいる。
さらっとネット検索をすると「博士課程進学者の頭打ち傾向を憂える」という文章を見つけることができるが、これはなんと30年以上も前の1989年の文章である。書いてある内容を見ると、昨今の議論とよく似た感じで、30年以上も問題が解決されずにいたのかと、ちょっと憂鬱な気分になる。
自分もこれまで「優秀な人材を育てるのかそれとも選抜するのか」とかあれこれと書いているのだが、どうもアカデミアは少人数の進学者を手厚く教育するよりも、競争率を高くすることによって優秀な人材を集める戦略を選んでいるために、博士課程進学者を増やしたいと思っているのではないかと思われても仕方がないような印象がある(もちろんのこと単に研究労働力として博士課程の学生を集めたがっている研究室もあるとは思う)。
一方でアカデミックポストが大して増えていないのに、博士を増やしてもキャリアからの脱落者が増えるだけなのに、脱落者についてのフォローは社会に投げっぱなしなっているように見える。これはアカデミアの研究者の意識の中の「我々vs.彼ら」の構図において、脱落者は「研究の世界から外部(一般社会)に所属替えしたもの」と見なされているため、研究者社会の外部問題になっていることによるのではないかと、自分は見ている。せめて研究者の意識の中で脱落者が研究者と同じ側に位置付けられていれば、もう少し真剣に考えてくれるのではないかとも思うが、それができていないから安易に「博士課程進学者の減少が心配」とか言えてしまえるのではないかとも思う。