昨日の記事で、科学研究における不正行為と御用学者の件について触れたけれど、
どうも科学研究者の間では両者を分離して考える傾向が強いようだ。
現在問題になっている不正(ミスコンダクト)事件に関して言えば、
「御用学者でもない普通の研究者が不正をするなんて」という驚きが
科学研究者の間にあるように見受けられる。
恐らく御用学者はそもそも科学の範疇外にいると考えられているので
そのような受け取り方がされているのではないだろうか。
御用学者が如何にして誕生するかを考えて見てはどうだろう?
研究者の卵であった時点から御用学者であるケースは考えにくい。
例えば大学院生ではステータスが低過ぎて権威を欠く為、
「御用」の役に立つことは難しいだろう。
従って最初は普通の研究者の卵であって
そこそこの業績を挙げてアカデミック・ポジションに就く場合が多いだろう。
もちろんこの時点で指導教官とか学会ボスの意向に沿う誘惑に駆られれば、
データの加工といった不正行為の第一歩を踏み出すかもしれないが
それは通常の不正行為であって「御用学者」特有の問題ではない。
御用学者に特有な点と言えるのは
不正行為を誰の評価を受けるためにするかであって
不正によって地位を得ることを期待することではない。
評価する主体が学界の内部にあるため専門家集団内で閉じているものの
学会ボスに迎合した不正行為も構造的にほぼ同じである。
(こういうのは御用学者ではなく太鼓持ちとか幇間と呼ばれるのであろう)
御用学者は専門家集団の外部の権力を専門家集団よりも上位におくため
専門家集団からの逸脱者と学界からは受け取られるのだろうが
専門家集団の外部から見れば幇間的研究者と変わり映えしない。
幇間的研究者が学界ボスに対する大政翼賛的研究によって
ボスからの賞賛による学者としての成功を狙うように
不特定多数の研究者の同僚評価による成功を狙ったのが
昨今の捏造論文問題ではないだろうか?
恐らく競争的な研究資金の獲得が重要になればなるほど
専門家集団の内部での評価を得ようとする傾向は強くなるのだろう。
それが幇間よりもペテン師を選ぶ人間の増加を生んでいると推測している。