ポスドク問題でちょっと残念に思うのは、
科学研究者をプロスポーツ選手に喩えるような議論である。
自分はスポーツ選手とりわけ格闘家に対しては
雲の上の人への憧れのようなリスペクトを感じているので、
階級最多防衛記録を持つポンサクレックから
今年の年間最高試合として表彰されるような試合でタイトル奪取した内藤を
vs.亀田大毅だけで論じるような手合いとは一線を画しているつもりだ。
(因みに現在の日本を代表するボクサーといえば長谷川穂積だと思う)
スポーツを格下に見ているからではなく
むしろ科学という活動がスポーツのような
個人の栄光として語られるものに尽きるものでないと思うからなのだ。
時代と共に生き時代と共に過ぎて行くものではなく
時代を超えて世代を超えて伝わって行くものだと考えている。
そういう科学の営みに参加することで
時代を超えるようなものを生み出すことができたなら
たとえ生きている間に認められなくても構わないと
そういう思いが自分にもある。
きっと多くのポスドクの人達もきっと同じような思いを抱いているだろう。
だから生きている間の金銭的成功とか名声とか
ましてやアカデミックポストの頂点に上がるなんてことを
究極の夢にしているかのような言われ方は何だか悲しい。
自分にとって科学とはスポーツよりも
むしろ芸術に喩えられるべき性質のものなのだ。
それで苦闘するポスドクの人達にささやかながらエールとして
芸術の価値を高らかに宣揚した次の文章を送りたい。
蓋し文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり
年寿は時ありて尽き、栄楽は其の身に止まる
二者は必至の常期にして、未だ文章の無窮なるに若かず
<魏文帝・曹丕「典論」>
※心の中で「文章」を「科学」に置き換えて読んで下さい。