地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

科学者と一般市民しかいないのか?

科学コミュニケーションとか科学の理解増進とか
そういう話題になったときに、
科学者/一般市民という二分法の図式で話が展開することが多い。
問題を考える上で単純化はある程度避けられないと思うが、
この図式は本来連続的なスペクトル上に設けられた
場合によっては恣意的な区別に過ぎないではないだろうか。
科学の理解に関して科学者と一般市民の区別は
種類の問題ではなく「程度」の問題であると思う。
例えば物理学を考えてみよう。
アカデミアに残って科学者となったもの以外に
大学の物理学科を卒業したものとか
修士課程で修了したものとか
博士課程まで修了したものとか
更にポスドクを経験して企業のエンジニアになったものとか
理解の程度は様々である。
もっと狭い分野を考えて例えば表面物理を考えてみればどうだ。
天体物理でアカデミアに残ったものは
表面物理を専攻した修士修了者よりも
表面物理分野についての専門的知識は乏しいだろう。
それどころか実験や研究論文の評価でも、
天体物理学者よりも修士修了の企業エンジニアの方が頼りになるだろう。
(何にせよ例外はあるが大まかな傾向の話である)
あるいは分析化学から光電子分光に手を染めた化学者の方が
天体物理学者よりも表面物理について多くのことが語れるかも知れない。

「最先端の科学を一般市民に解説する」とか、
そういう問題の立て方が間違っているとは言わないが、
そのために特別な汎用型インタープリターを養成するよりも
既に存在する連続的なスペクトル上の様々な人的資源を利用する方が
健全な科学コミュニケーションの姿ではないだろうか。