地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

陰謀論ではないけれど

先日話題にした足利事件のような冤罪事件について調べていると
科警研のような公的機関が必ずしも信頼できない事例に事欠かない。
公的機関は信頼できるのか信頼できないのか、
もちろん信頼できるケースも信頼できないケースも両方ある。

足利事件の場合はDNA鑑定の犯罪捜査への導入期のケースだから、
クリーンヒットと言えるような成果を望まれていたと思われる。
しかしながらどうみても、当時の鑑定は杜撰だから間違ったというよりも、
勇み足というか曖昧なものを無理やり断定したかのようだ。
もしDNA鑑定で犯人が見つけられなかったらその後の機器整備の予算化が厳しくなるから
断定できないことでも断定してしまえというような雰囲気ではなかったかと想像する。
だから高価な分析装置の導入とかある種の予算化に有利に働くような成功事例の場合には
ちょっと懐疑的に見た方が良い。
今になってみるとなって問題のあるDNA鑑定の場合でも
自分の知る限り科学者側から懐疑的な意見があまり聞こえてこなかった。
DNA鑑定が一般社会の役に立つというイメージを傷つけたくなかったのか?

科学予算でも最新の成果が喧伝されるときには気をつけたほうが良い、
大型予算の獲得であるとか批判をかわすためとか
ちょっと後ろ暗い動機を想像することは難しくない。
そういえばタンパク3000のときにも成果が過剰に強調されていた。