地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

日本語が論理的でないという妄説

時々、日本語は論理的でないから云々といった言説を見かけるが
そういった「日本語が論理的でない」と言っている人達の多くは
単に日本人のコミュニケーションで、
言語外の情報を補わないと単語(特に主語や目的語)の指示対象が曖昧だ、
といったことを主張しているようだ。
それでは日本語でそういったことが明示できないかというと、
決してそんなことはなくて必要があれば表現は可能だ。
例えば訴訟とかでやりあうときのように、
何が何を指すのかは極めて明瞭にしなければならない場面では、
当然のこと物事を極めて明瞭に語ることになる。
(正確で明瞭な日本語を身につけたければ法律家になる勉強をすれば良いだろう。)
だからこういった「日本語が云々」と言っている言説は
日本語と言う言語について語っているのではなく
日本語話者の言語使用(あるいはコミュニケーション)習慣について語っているのだ。
帰国子女なんかが「ものをはっきり言い過ぎる」とか言われる場合には
そういった人の言語使用のスタイルについて語られるわけだが、
使われている言語自体は日本語という言語なのだ。
つまり「日本語は曖昧で論理的でない」とか主張している人は
コミュニケーションスタイルが曖昧だと言うべきところを
カテゴリー・ミステイクを犯して「言語」について語るという、
実に論理的でない言明を述べていることになるのだ。