地獄のハイウェイ

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『増補・放射線被曝の歴史』感想

中川保雄『増補・放射線被曝の歴史』を読んだ。
島園進が激賞していたが、自分はそれほどのものとは思わなかった。
被曝を強制する側と強制される側という2項対立図式によって
ICRPなどの放射線防護基準の設定に関する通史を概観したといった感じ。
このため「被曝を強制する」原子力推進体制側というのが
ずいぶんと単純化されたものになっている。
原爆等の核兵器に関係する軍産複合体
原子力発電などの原発関連業界(日本で言うところの原子力村)とが
どういう関係にあるのかが全く整理されていない。
例えば東芝ウェスチングハウスを買収したりしているが
日本企業が核兵器製造メーカーを買収したりできるだろうか?
同じように核物質を扱っているからと言って
軍産複合体原子力村の利害が常に一致するわけではない。
本書でも初期のICRPマンハッタン計画関係者の主導下にあったとしているし、
1960年代までは原発よりも核実験のフォールアウト問題が論争の舞台だとしている。
この核兵器に関して放射能の安全性の論争があった時代は
「被曝を強制する体制側」は核保有国や軍産複合体が中心だったのであろう。
ところが8章の「反原発運動の高まりと経済性優先のリスク論の”進化”」では
原発推進派によるコスト-ベネフィット論によって
放射線防護基準の策定が行われたかのように議論されている。
どのように「体制」の主導権が軍産複合体から原発業界に移ったのか?
本書では「命の金勘定」である経済性優先の立場への悪罵のみで何も分らない。
それどころか9章「広島・長崎の原爆線量の見直し」においては
なぜか主役は米国防総省等の軍産複合体に戻っている。
これは著者が軍産複合体原発産業の違いを意識していないことを疑わせる。
更に核実験のフォールアウト問題で
ICRPを主導するアメリカと対立関係にあったソ連
原子力発電に邁進していたことは全く議論されていない。
ソ連最初の原発であるオブニンスク発電所は1954年運転開始)
要するに軍産複合体原発業界も一緒くたに「原子力業界」としているため
このような見落としが生じているのだろう。
また著者が「命の金勘定」と罵倒するコスト-ベネフィット論が
あたかも「原子力業界」が発明したかのように論じられているが
人間の命を貨幣換算してコスト計算する手法は
他の産業分野(例えば生命保険業界)にも見られるもので
必ずしも原子力特有のものとも思われないのだが、
そういった疑問に答えるようなものは特に書かれていない。

通史を特定の政治的立場から読み解いたプロパガンダのようで
自分にとっては読んでとても疲れる書物だった。