地獄のハイウェイ

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大義のための犠牲とトロッコ問題

倫理学とか道徳心理学の方面で有名な話題にトロッコ問題というのがある。
多数の生命を助けるために少数(元の設定では1名)の命を犠牲にするかどうか
そういう倫理的なジレンマについての話しなのだが、
結果的に少数の犠牲が出る消極的な場合と積極的な殺人によって犠牲が出る場合で
人々の判断が功利主義的に多数の救済を選んだりそうでなかったりするそうだ。
設問の仕方などで比率は変化するそうだが
他人を手段として利用して危害を加えるような選択は好まれない傾向があるそうである。
ただサイコパスだと状況によらず功利主義的な選択をする傾向があるそうだ。
それでふと思ったのだが、
ある種の政治運動や社会運動で「大義のための犠牲はやむなし」的な言説を見るが
(「大義」ではなく経済的コストとかそういうバージョンもある)
そういう大義のための犠牲者を積極的肯定する人は
ちょっとサイコパスと似た心理的な傾向を持っているのではないだろうか。
その極端な形がイデオロギーによる大量粛清みたないのかなとも思う。