地獄のハイウェイ

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池内了「疑似科学入門」感想

Japan Skeptics運営委員でもある池内了の「疑似科学入門」を読んだ。
著者は1993年9月2日の朝日新聞夕刊に「見過ごせぬ疑似科学出版」という文章を寄せていて
疑似科学批判に関しては15年近いキャリアがあり、
その一方で「科学は今どうなっているの?」や「物理学と神」等の
科学論的な著作や現代科学技術批判のエッセイや
また国立大学法人化反対運動等の積極的な社会発言でも知られている。

だからそれなりの期待を持って購入したのだが、
疑似科学の分類の試みや
政治絡みの性急な「科学的」断定を第3種疑似科学として取り上げるなど
評価できる点もあるものの、
残念ながら疑似科学問題についてのイントロダクションとしては
最良のものとは言えないと思う。
例えばオカルト・「疑似」宗教系を疑似科学と分類することは
超常現象否定派(Japan Skeptics会員)である著者には自然なのかもしれないが
それらが「科学であること」を標榜していない以上、
疑似科学と批判することは的を射ていない思う。
それは疑似科学批判というより
むしろ啓蒙主義的な「科学による迷信の排除」に似ている。
その一方で
「第一種疑似科学について興味深いことは、これらを信じる人は全般的にどれも信じ、信じない人は全てを信じない、という共通した傾向が見られる点である。」(p.25)
と書いているが、アメリカにおける疑似科学の最大のものだろう」と評している
キリスト教創造論とUFO信者は両立しない傾向にあることを無視しているのはおかしいし、
またマニアの間では有名な
英国心霊現象研究協会(SPR)が神智学協会のブラヴァツキー夫人のインチキを暴いた件などは
どう考えているのかと疑問に思う。
第一種疑似科学(超常現象・精神世界系)は心理的な錯誤による「迷信」とする
先入観が著者にあるのではないかと疑ってしまう。

あとがきで「本当は「疑似科学社会学」としたかったのだが」
書いている割には、
社会学的な調査や考察をあきらめてしまったのかほとんど欠いているように思う。

本格的な「疑似科学社会学」のためには
社会学者や社会心理学者との連携が必要なのだろうが、
疑似科学と「しろうと理論」(lay theories)の関係など興味深い話題があると思うのだが、
この著作も疑似科学に関する社会学的「しろうと理論」ではないかとの危惧もなきにしもあらず、
というのが率直な感想である。

※2008年6月5日追記
poohさんのところで本記事を好意的に紹介していただき感謝しています。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-21
なおリンク先のコメント欄では興味深い話も紹介されていますので
関心をお持ちの方は是非ご覧下さい。