地獄のハイウェイ

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”Adapted” vs. "Adapting"

 これまでも進化心理学についてあれこれ批判的な意見を言ってきたが、ちょっと調べてみると、自分のような小物があれこれ論ずる以前に、厳しい批判が出ていたことを知った。

 進化心理学をどういう研究プログラムとして特徴づけるかであるが、提唱者であるL.コスミデスとJ.トゥービイに由来する、1)人間の心は多数の領域特異的なモジュールによって構成されている(Massive Modular Hypothesis、略してMMH)、2)これらの領域特異的モジュールは、更新世旧石器時代の進化適応環境(Environment of Evolutionary Adaptedness、略してEEA)に適応進化したものである、3)これらのモジュールは種としての人間に普遍的な心理的形質(Human universals)である、といった特徴づけが基本的には適切だろう。これらの中で、EEAは適応進化は過去になされたものであるという観点をもたらし、実際コスミデスとトゥービィがJ.バーコウと編纂した”The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture”(1992)という進化心理学の基本的な論文集のタイトルに「適応した」(”Adapted”)という過去分詞を用いていることにも象徴的に表れている。

 これに対して色々な批判が出ていたのであるが、中でもD.ブラーという哲学者が2005年に”Adapting Minds: Evolutionary Psychology and the Persistent Quest for Human Nature”という著作を出している。”Persistent Quest”は「絶え間なき探求」とか「持続的な探求」ではなくて揶揄的なニュアンスで「しつこい探求」のような意味合いではないかと思われるが、”Adapting”の部分は、現在分詞で「適応している」という格好で、”Adapted Mind”との対比を示している。このブラーの著作は科学哲学界隈では結構重要な批判とみなされているみたいで、日本でも進化心理学支持派の哲学者の反論が出ていたりする。ブラーの進化心理学批判についてはネット上に見られる書評が詳しいが、人間本性に関わる部分は、要するに「進化心理学本質主義的な人間本性を明らかにしようとしているが、本質主義的な人間本性は進化的説明とは相容れないので進化心理学は間違っている」ということのようだ。

 自分の進化心理学への違和感もEEAに関連するが、適応主義と断続平衡説の悪魔的アマルガムのような部分に向けられているので、ブラーのものほど射程は長くはないし、周回遅れだったとも思うが、一応リンクしておくことする。

katsuya-440.hatenablog.com