地獄のハイウェイ

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研究費ミニマムを保証すべきだ

先日書いた「マタイ効果」(マタイ効果 - 地獄のハイウェイ)の
続きを考えてみた
「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」マタイ効果によって、
業績を上げ科学の発展に貢献した科学者に対して
研究資金の配分といった面から報償が与えられること自体は
科学の知的生産性を促進させる作用があるとも考えられる。

例えば数年前に一部で話題になった
S.コールマン「検証 なぜ日本の科学者は報われないのか」(2002年)では、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4829900652/
日本の科学が世界のトップレベルに届かない理由を
科学者が研究業績を元手に助成金という研究資源を手に入れて
それを再び研究に投資するというキャリア・アップのサイクルが、
(コールマンの用語では「クレジット・サイクル」)
日本では正常に機能していないからだとしていた。
記憶が曖昧で断言できないが、
コールマンはマタイ効果には言及してなかったように思うけれど
マタイ効果の科学の発展への促進作用に対して肯定的な立場だと言えるだろう。

マタイ効果の肯定的な作用を強調する立場は、
自由競争こそが社会・経済の発展を促進するとする
市場万能主義に繋がる発想法だと言えるかもしれない。
ならば、科学の発展を経済の発展になぞらえる考え方に対して、
対立する考え方として福祉国家の理論のようなものを考えるの一興だ。

社会保障制度の基本概念としてナショナル・ミニマムというのがある。
これは国が保障すべき最低限度の生活水準あるいは公共サービスのことだが、
それに倣って「研究費ミニマム」というようなものを考えてはどうだろう?
競争的研究資金なしでも最低限度の研究水準を維持できるような交付金
「研究費ミニマム」として保障しても良いのではないだろうか。
年金が基礎部分と上乗せ分になっているのを真似して
最低限度の研究費ミニマムと業績が反映される部分(通常の競争的資金)の
2階建てにしてはどうだろう?
最低限の研究費というのは分野によって異なるだろうが
ある程度の推定が可能なはずである。
最低限度に必要な研究資金について判らないというのなら
「科学技術政策研究所」http://www.nistep.go.jp/index-j.html
なんていうのがあるのだから調査すれば良いのではなかろうか?

研究費ミニマムの財政負担に限度はあるだろうから
研究者なら誰でも給付を受けるのが手広すぎというなら受給資格を定めてはどうか。
簡単には競争的研究資金の応募資格を得た研究者(例えば科研費の対象者で良い)限定
というのでも良いのかもしれないが、
公的な研究資金を受ける最低限の能力または実績を示すのも一案だ。
業績ミニマムとでも言えばよいのかもしれないが
こちらは同じミニマムでもナショナル・ミニマムではなく
L.D.ランダウの「理論ミニマム」(ランダウが門下生に課した合格基準)がモデルだ。

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本記事は
Makkurikuriさんのブログサイト「ある大学研究者の悩み」
2006年03月14日付エントリ「研究資金の分配」
http://makkuri.exblog.jp/3338601/
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