地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

捏造:マスメディアと科学界

今回の「あるある大事典」の納豆ダイエット捏造事件は、
実験等を捏造したという点で考えさせられるものがある。

この事件はTV番組の「やらせ」の一種としての実験の捏造だが、
しばしば問題化している科学における不正事件も多くは実験の捏造だ。
科学者はともかく科学を生業としない一般の人々から見たときに
TV制作会社の捏造も科学者の捏造も
「似たようなもの」に見えはしないだろうか。

期日に余裕がなくて実験の失敗を避けたかったとか
視聴率競争の中で興味を引きそうな結果を捏造したとかの構図は
言葉を適当に置き換えてやると、
科学における不正事件でも
プロジェクトの期限が迫っていて実験の失敗を避けたかったとか
資金獲得競争の中で興味を引きそうな結果を捏造したとかの
似たような構図が描けそうだ。
放送前のチェックで見抜けずに通ってしまった云々も
論文誌の査読システムをすり抜けてしまった云々と
構造的にはよく対応するのではないだろうか。

マスメディアと科学界では事情が違うという意見もあるだろうけど、
一般の人々から真実を伝えることを期待されているという点自体には
そう大きな違いがあるわけではないだろう。
そもそもマスメディアにおける捏造全般を考えてみれば
TVだけの特殊問題というわけではなく、
新聞や各種の雑誌だって程度の差こそあれ似たような問題を抱えている。
そう考えてくると、
科学雑誌の多くはNatureのような商業誌であるのだから
一般雑誌におけるスクープ等の捏造と科学雑誌を舞台にした論文捏造とが
構造的に似た点が多くても、そんなに不思議がないことに気が付くはずだ。

マスメディアにおける捏造に関しては、
関係者各人の倫理的な自覚に期待するよりも
マスメディア相互の監視による叩き合いの方が
視聴者あるいは読者離れという結果をまねくので
抑止効果が期待できるだろう。

科学における捏造に関しても、
倫理綱領とかによる研究者の倫理的自覚に期待するよりも
追試を科学者の業績として評価して
科学者同士の蹴っ飛ばしあいを促進することの方が
ずっと効果的なように思えて仕方がない。