地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

博士を減らして質を高めるべきだ

自分が学生だった頃(1980年代)は、ポスドクは極めて少数で、
定職についていない博士は大概単なるオーバードクターだったから、
わずかな学振の奨励研究員(当時)は不安定でも立派な就職と見なされていた。
優秀で運が良い人しか学振は当たらなかったし、
また当たった人は建前としては自立した研究者と見なされていたように思う。
(自分の狭い見聞で書いているので客観的ではない)

だから昨今のポスドク問題の議論の中で、
2ちゃんねる由来の「ピペット土方」(生物系ポスドクの蔑称?)なんて言葉を見ると
研究をマネージメントしていない単なる技能労働者というか
学位持ちのテクニシャンみたいなイメージで、
時代が変わったことを痛感する。

時代の変化ということで
大学院博士課程進学率(大学卒業者に占める割合)の変化を見ると、
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-28.pdf
1985年に1.59%(5,877人/373,302人)だったものが
20年後の2005年には3.22%(17,559人/551,016人)と2倍以上になっている。
因みに修士課程の進学率は
1985年に6.32%(23,594人/373,302人)だったものが、
2005年には14.08%(77,582人/551,016人)と約2.2倍。
経済状況が異なるので単純な比較はできないが、
進学者の数で比較すると
2005年の博士課程進学者(17,559人)は
26年前の1981年の修士進学者(17,857人)と変わらない水準である。

自分のところの商品を悪く言ったら商売は成り立たないから
大学関係者がドクターは優秀と宣伝するの当然とは思うが、
この種の統計から見る限り博士に掛かる選抜率は25年前の修士程度だ。
「競争率(選抜率)が高いほど優秀な人材が選抜できる」という発想に立てば
https://katsuya-440.hatenablog.com/entry/51545649
今の博士が20年前の修士より著しく優秀とは期待できないだろう。
(因みに自分はそういう発想には必ずしも賛成しない)

そういう競争率至上主義的発想とは違った考えで
「選抜率が低くても手塩に掛けて教育すれば能力を向上させることはできる」
というのが大学(というか教育関係者)の建前だとは思う。
しかし教育コストを惜しまないのであれば、
博士課程進学者を減らさなければならないのではないか?

生物の繁殖戦略でr/K戦略説というのがあるのをご存知の人も多いだろう。
大雑把に言えば多産多死(r戦略)か少数少死(K戦略)というものだ。
繁殖に掛かるコストを産卵数に掛けるか養育に投入するかということで、
産卵数と養育コストがトレードオフになっているから
養育にコストを掛けるのならば産卵数を減らさなければならない。
これとのアナロジーで行けば
博士課程進学者数を減らさなければ手厚い教育は困難だろう。


※本記事は魔人ブウ*さんの「ブログでバイオ 第34回 「研究や研究者の評価」」
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50365770.html
に触発されて書いたものです。

2007.09.07追記:題名を変更しました。