地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

天文学が人気があるのはなぜか

K_Tachibanaさんのブログ"Science and Communication"の
「何であなたは自分の研究成果を一方的に売り込もうとしているの?」
http://sciencecommunication.blog.so-net.ne.jp/2009-07-05-13
という記事とコメントを見てちょっと思ったのだが
諸科学の中で天文学が抜きん出て一般市民の支持者が多いのは何故だろう?

応用の面の成果などちょっと考え付かない天文学のような
ある意味浮世離れした科学人気があるのはどうしてなのか?
実学偏重で反知性主義的とも評されることのある日本なのに?
古代バビロニア以来の伝統があるから他の科学とは同列には論じられないとか
ロマンチックな星座の神話とかSFアニメの宇宙冒険活劇で馴染みがあるからとか
色々と理由は思いつく。
こういった要素が作用していないとは言わないが、
天文ガイド」といった雑誌を見る限りではそういったものの影響は
それほど強くないのではないかとも思われる。

天文ガイド」のような雑誌を見て特徴的に思われるのは
宣伝欄広告欄のほとんどの部分が天体望遠鏡やその間連商品で埋められていることだ。
どうやら天文ファンのかなりの部分が天体観測を趣味にしているらしい。
つまり天文ファンの多くは、
受動的な情報の受け手であるよりは、能動的な天体観測者であるようなのだ。
たしかに天文学はアマチュアが活躍している分野である。
マチュア天文家の発見が元になった論文がNatureに載るなんてこともあった。

アマチュアに門は開かれているか - 地獄のハイウェイ

それでふと思い出した言葉が、
萩尾望都が述べた
「本来、ものの描き手と読み手はちがう。唄のもんくじゃないけれど、両者の間には深い川があって、それはとても渡りきれない。渡る唯一の方法は、読み手が描き手になることだ。」

萩尾望都の言葉は次のサイトの記事から http://d.hatena.ne.jp/soorce/20090429 )
それを捩ると
「本来、科学の造り手と聴き手はちがう。唄のもんくじゃないけれど、両者の間には深い川があって、それはとても渡りきれない。渡る唯一の方法は、聴き手が造り手になることだ。」

とでもなろうか。

多くの天文ファンが天文学者と同じ岸に立っているからこそ
天文学者は天文ファンを対等のコミュニケーションの相手と見なし
天文ファンは分野の先頭を駆ける同士同志としての天文学者を応援する、
そういった構図があるのではないだろうか。

そう考えると天文学以外で同じような形で
一般市民とコミュニケーションが成り立ちそうなのは
分類学とか生態学といった博物学系とかそんなところだろうか。
残念ながらバイオサイエンスとかにはちょっと期待できそうにない。