最近出版された内井惣七の「ダーウィンの思想」を購入した。
まだパラパラ眺めている段階で、まだきちんとは読んではいないが
ちょっと気になる箇所があった。
それは「分岐の原理」について書かれた4章の末尾で
「わが国では、かつて、「種の棲み分け」という、競争原理とは無縁に見える現象を取り上げて(中略)ダーウィン説を否定することがもてはやされた時期があったが、「棲み分け」はダーウィン説できちんと、しかも実証的に説明できるのだ。(中略)ちなみに、「棲み分け」を提唱した人物は、ダーウィンの「分岐の原理」に気づいてさえいなかった。」(「ダーウィンの思想」p.130)
という部分だ。
内井が名指しをせずに当てこすりを言っているのが、
今西錦司のことであるのはちょっと進化論に興味がある人ならすぐ分かる。
こういう毒舌っぽい書き方は、
書いている方は気分がいいのだろうが
外れている場合に惨めなので真似をしない方が良いと思った。
因みに自分は今西にはかなり否定的な方だが、
今西がそこまで無知で愚かだったとも考えない。
そこで我が家にあった今西の「ダーウィン論」(1977)をめくってみた。
「ダーウィンは、意外に思う人があるかもしれないが、すでに棲みわけという事実のあることを認めていた。だから棲みわけということの解釈如何によっては、ダーウィンの進化論と私の進化論とが、もっと歩みよりを示すことになったかもしれない。」(「ダーウィン論」p.99)
とあって、その続きではダーウィンの説明に対する不満を述べている。
更にダーウィンの「種の起源」からの引用として
「「しかし、一つの種の変化した子孫が、まったく新しい土地や、古い土地でもまだ利用されていないなにか新しい地位を占めることができたならば、この子孫とそれを生んだ種(祖型)とは、競争する必要がないから、共存しつづける可能性がある」(原五八頁)」(「ダーウィン論」p.105)
と書いている(原書ページは今西の利用したリプリントのもののようだ)。
ざっと調べると、
これは、八杉龍一訳「種の起源」岩波文庫1990年版のp.164に相当するようで
原文をネットで調べると次のようだ。
" If, however, the modified offspring of a species get into some distinct country, or become quickly adapted to some quite new station, in which child and parent do not come into competition, both may continue to exist. "
これを見る限り八杉の訳文より同所的種分化を意識している。
少なくとも今西は種の起源の中の「分岐の原理」が書かれた部分を読んでいる。
今西が「分岐の原理」を十分に理解していたとまでは言わないが
「気づいてさえいなかった」とまでは言えないだろう。